第二次世界大戦参戦時のイタリア海軍の編制 ―各地軍港の指揮官と所属艦隊、所属艦艇―
今回は、第二次世界大戦参戦時(1940年6月10日)時点のイタリア海軍の軍港と、どの艦隊が誰に指揮され、どこの軍港に配備され、どの艦が所属していたか...というのをざっくりした感じで紹介しようと思う。
1940年6月10日のイタリア参戦時、ローマの海軍参謀本部はドメニコ・カヴァニャーリ提督(Domenico Cavagnari)が率いていた。開戦時の海軍の艦艇は以下の通り。
◆戦艦
+「コンテ・ディ・カヴール」級戦艦2隻
+「リットーリオ」級戦艦2隻(未準備、戦闘不可能)
+水上機母艦「ジュゼッペ・ミラーリア」
◆巡洋艦
+「ザラ」級重巡洋艦4隻
+「サン・ジョルジョ」級対空巡洋艦1隻
+「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」級軽巡洋艦4隻
+「ライモンド・モンテクッコリ」級軽巡洋艦2隻
+「エマヌエーレ・フィリベルト・ドゥーカ・ダオスタ」級軽巡洋艦2隻
+「ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ」級軽巡洋艦2隻
◆駆逐艦
+「レオーネ」級駆逐艦3隻
+「ナヴィガトーリ」級駆逐艦12隻
+「ソルダーティ」級駆逐艦12隻
+「ダルド」級駆逐艦4隻
+「カルロ・ミラベッロ」級駆逐艦2隻
+「フォルゴレ」級駆逐艦4隻
+「トゥルビネ」級駆逐艦8隻
+「ナザリオ・サウロ」級駆逐艦4隻
◆水雷艇
+「スピカ」級水雷艇30隻
+「オルサ」級水雷艇4隻
+「ロゾリーノ・ピーロ」級水雷艇7隻
+「ジュゼッペ・シルトリ」級水雷艇4隻
+「ジュゼッペ・ラ・マーサ」級水雷艇8隻
+「ジェネラーリ」級水雷艇6隻
+「パレストロ」級水雷艇4隻
+「インドミート」級水雷艇1隻
+水雷艇「アウダーチェ」
◆潜水艦
+「アドゥア」級潜水艦17隻
+「アルゴナウタ」級潜水艦7隻
+「ペルラ」級潜水艦10隻
+「シレーナ」級潜水艦12隻
+「アルキメーデ」級潜水艦2隻
+「アルゴ」級潜水艦2隻
+「バリッラ」級潜水艦4隻
+「バンディエーラ」級潜水艦4隻
+「ブラガディン」級潜水艦2隻
+「ブリン」級潜水艦5隻
+「カルヴィ」級潜水艦3隻
+「フィエラモスカ」級潜水艦1隻
+「フォカ」級潜水艦3隻
+「グラウコ」級潜水艦2隻
+「H(アッカ)」級潜水艦5隻
+「リウッツィ」級潜水艦4隻
+「マメーリ」級潜水艦4隻
+「マルチェッロ」級潜水艦11隻
+「マルコーニ」級潜水艦6隻
+「ミッカ」級潜水艦1隻
+「ピサーニ」潜水艦級4隻
+「セッテンブリーニ」級潜水艦2隻
+「スクァーロ」級潜水艦4隻
+「X」級潜水艦2隻
◆その他
機雷敷設艦、MAS艇(高速魚雷艇)、封鎖突破船、仮装巡洋艦、病院船等多数
ざっとこんな感じである。カヴァニャーリ提督の海軍計画通り、潜水艦隊は世界でも有数の戦力を誇ったが、主力艦隊は「リットーリオ」級2隻は竣工したものの戦闘準備が整っておらず未就役で、「カイオ・ドゥイリオ」級2隻も改装中であったため、「コンテ・ディ・カヴール」級2隻のみしか戦闘準備が整っていなかった。なお、空軍の方針により、イタリア海軍は空母を1隻も保有していない(航空機搭載艦は水上機母艦「ジュゼッペ・ミラーリア」と艦載機を搭載した軍艦のみ)。
開戦後、リットーリオ級戦艦「ローマ」や「カイオ・ドゥイリオ」級戦艦2隻、「カピターニ・ロマーニ」級軽巡洋艦、チクローネ級水雷艇、プラティーノ級潜水艦などを始めとする多くの艦艇がこれらに加勢する形で就役、戦力を増強している(しかし、工業生産力の不足故に、他列強に比べるとその数は少ない)。
◇軍港ごとの各艦隊の指揮官と所属艦艇
+主要な二つの軍港
◆ターラント(Taranto)
イタリア最大の軍港都市であり、主力艦隊である第一艦隊(I Squadra)の母港であるターラント。イタリア半島の南部にあるプーリア地方にある工業都市で、イタリア半島を「ブーツ」に例えると「土踏まず」のターラント湾に位置する。
□第一艦隊(イニーゴ・カンピオーニ提督)
旗艦:戦艦「ジュリオ・チェーザレ」
第一艦隊は戦艦を主力とする戦闘艦隊。第一艦隊は以下の5つの戦隊が所属する。
■第五戦艦戦隊(ブルート・ブリヴォネージ提督)
旗艦:戦艦「コンテ・ディ・カヴール」
所属艦艇:戦艦2隻 駆逐8隻
■第9戦艦戦隊(カルロ・ベルガミーニ提督)
旗艦:戦艦「リットーリオ」(未就役)
所属艦艇:戦艦2隻(未就役) 駆逐8隻
■第一巡洋戦隊(ペッレグリーノ・マッテウッチ提督)
旗艦:重巡「ザラ」
所属艦艇:重巡3隻 駆逐艦4隻
■第4巡洋戦隊(アルベルト・マレンコ提督)
旗艦:軽巡「アルベリーコ・ダ・バルビアーノ」
所属艦艇:軽巡4隻
■第8巡洋戦隊(アントニオ・レニャーニ提督)
旗艦:軽巡「ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ」
所属艦艇:軽巡2隻 駆逐艦4隻
■その他
所属艦艇:水上機母艦「ジュゼッペ・ミラーリア」等補助船6隻
イオニア海方面の防衛・哨戒等作戦行動を管轄する。
所属艦艇:軽巡2隻 潜水艦18隻 駆逐艦8隻 掃海艇10隻 砲艦2隻 機雷敷設艦2隻 補助船5隻
◆ラ・スペツィア(La Spezia)
北イタリアを代表する軍港都市。イタリア最大の港湾都市であるジェノヴァから東に行ったところにある。兵器生産を担う一大工業都市であり、休戦後もイタリア社会共和国(RSI政権)海軍の本部が置かれ、終戦まで軍港都市として機能した。また、イタリアご自慢の潜水艦隊の本部が置かれた。
□第二艦隊(リッカルド・パラディーニ提督)
旗艦:重巡「ポーラ」
所属艦艇:重巡1隻 駆逐4隻
第二艦隊は巡洋艦を中心とする戦闘艦隊。第二艦隊は以下の3つの戦隊が所属する。
■第三巡洋戦隊(カルロ・カッターネオ提督)
旗艦:重巡「トレント」
所属艦艇:重巡3隻 駆逐4隻
■第二巡洋戦隊(フェルディナンド・カサルディ提督)
旗艦:軽巡「ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ」
所属艦艇:軽巡2隻 駆逐4隻
■第七巡洋戦隊(ルイージ・サンソネッティ提督)
旗艦:軽巡「エウジェニオ・ディ・サヴォイア」
所属艦艇:軽巡4隻 駆逐4隻
■その他
所属艦艇:工作船「クァルナート」等補助船8隻
□上部ティレニア艦隊司令部
(アイモーネ・ディ・サヴォイア=アオスタ提督)
ティレニア海北部方面の防衛・哨戒等作戦行動を管轄する。
所属艦艇:水雷艇10隻 MAS艇20隻 砲艦1隻 補助船6隻
□潜水艦隊(マリオ・ファランゴーラ提督)
イタリア海軍に所属する全ての潜水艦部隊を管轄する。戦局が進むにつれて、潜水艦隊は地中海の他、大西洋、黒海、紅海、インド洋、更には太平洋でまで活動した。
※潜水艦隊はラ・スペツィアが総司令部だが、各地の軍港に展開している。
所属艦艇:潜水艦27隻(ラ・スペツィア港所属)
+西部地中海の軍港
◆ナポリ(Napoli)
南イタリア最大の都市で、「永遠の劇場」と謳われる地。ターラント空襲で大損害を被ったイタリア主力艦隊が後にこちらに母港を移すことになる。
□下部ティレニア艦隊司令部
(ヴラディミーロ・ピーニ提督)
ティレニア海南部方面の防衛・哨戒等作戦行動を管轄する。
所属艦艇:潜水艦8隻 水雷艇6隻 機雷敷設艦パルテノーペ等補助船5隻
◆ラ・マッダレーナ(La Maddalena)
サルデーニャ島北部沖合に浮かぶラ・マッダレーナ島の中心地。サルデーニャ王国軍がナポレオン軍の侵攻を打ち破った地でもあり、建国の英雄ガリバルディ最後の地としても知られる。仏領コルシカ島に睨みをきかせる場所として防衛拠点になっている。
(エットレ・スポルティエッロ提督)
サルデーニャ及び西部地中海、リグーリア海方面の防衛・哨戒等作戦行動を管轄する。
◆カリャリ(Cagliari)
サルデーニャ島の中心都市。サルデーニャ艦隊司令部の管轄に置かれる。
所属艦艇:潜水艦8隻
+アドリア海方面の軍港
◆ヴェネツィア Venezia
皆さんご存じ「水の都」。かつてはヴェネツィア共和国の首都であり、海洋共和国の中心として発展した港町。第一次世界大戦までは主要仮想敵国であるオーストリアに睨みを効かせる場所として軍港が重要視されたが、オーストリア帝国崩壊後はその重要度は下がることとなった。
□上部アドリア艦隊司令部(ジェノヴァ侯フェルディナンド・サヴォイア=ジェノヴァ提督)
アドリア海北部方面の防衛・哨戒等作戦行動を管轄する。
所属艦艇:水雷艇4隻 機雷敷設艦3隻 訓練艦2隻 砲艦1隻 工作船1隻
◆ポーラ(Pola)
イストリア半島に位置する軍港。第一次世界大戦まではオーストリア海軍の主要軍港だった。上部アドリア艦隊司令部の管轄に置かれている。アドリア海は完全にイタリア海軍の制海権にあるため、その安全性の高さから潜水艦の練習艦部隊の基地となる。
所属艦艇:水雷艇1隻 MAS艇4隻 補助船5隻
◆ブリンディジ(Brindisi)
イタリア半島の「かかと」に位置する港町。休戦後、南部に逃れたバドリオ政権が臨時首都を置いた場所としても知られている。また、ブリンディジ軍港は上陸作戦などを担当する海軍の海兵隊部隊、海兵連隊「サン・マルコ」の本部が置かれる。
アドリア海南部方面の防衛・哨戒等作戦行動を管轄する。
所属艦艇:駆逐艦6隻 MAS艇2隻 潜水艦7隻 補助船2隻
+中央地中海・東部地中海方面の軍港
◆メッシーナ(Messina)
シチリア北東部に位置する、メッシーナ海峡に臨む港町。シチリア海軍司令部の本部が置かれる。海峡を越えるとイタリア半島のカラブリア州。
□シチリア艦隊司令部(ピエトロ・バローネ提督)
シチリア・中央地中海方面の防衛・哨戒等作戦行動を管轄する。
所属艦艇:潜水艦7隻 水雷艇21隻 MAS艇16隻 掃海艇10隻 補助船8隻
◆パレルモ(Palermo)
所属艦艇:掃海艇9隻
◆アウグスタ(Augusta)
所属艦艇:潜水艦7隻 掃海艇9隻
◆トラーパニ(Trapani)
シチリア北西部の港町。シチリア海軍司令部の管轄に置かれる。
所属艦艇:潜水艦4隻 補助船3隻
◆ドゥラス(Durazzo)
アルバニア最大の港町であり、首都ティラナに次ぐアルバニア第二の都市。イタリアによる侵略前は王立アルバニア軍海軍部隊の母港であった。1939年にアルバニア王国がイタリア軍の侵略を受けたことで、イタリア海軍アルバニア艦隊の司令部が置かれることになった。形式上、アルバニアはイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が君主として君臨する同君連合となっているが、事実上の属国である。
アルバニア方面の防衛・哨戒等作戦行動を管轄する。参戦直後は小規模であるが、ギリシャ侵略以降で戦力が大幅に強化される。
所属艦艇:補助船3隻
◆ロードス(Rodi)
イタリアが伊土戦争でオスマン帝国から獲得したイタリア領エーゲ海諸島(所謂ドデカネス諸島)の中心地、ロードス島。東部地中海・エーゲ海の制海権維持のため、特にギリシャ侵攻を機に重視される。中東攻撃のために空軍基地も重要。
□エーゲ艦隊司令部(ルイージ・ビアンケーリ提督)
エーゲ海・東地中海方面の防衛・哨戒等作戦行動を管轄する。
所属艦艇:駆逐艦2隻 水雷艇4隻 MAS艇15隻 潜水艦8隻 砲艦3隻 機雷敷設艦2隻
◆ベンガジ(Bengasi)
北アフリカ・リビア植民地東部の中心都市。首都トリポリに次ぐリビア第二の都市である。リビア最大の軍港都市として発展する。行政区分的にはベンガジ県の県都。
□リビア艦隊司令部(ブルーノ・ブリヴォネージ提督)
リビア・中央地中海方面の防衛・哨戒等作戦行動を管轄する。なお、ブルーノ・ブリヴォネージ提督は第一艦隊に所属するブルート・ブリヴォネージ提督の兄。
所属艦艇:駆逐艦4隻 機雷敷設艦1隻 砲艦1隻
◆トブルク(Tobruch)
北アフリカ・リビア植民地東部の都市。リビア艦隊司令部の管轄に置かれる。エジプト国境に近いため、戦力が強化されている。
所属艦艇:巡洋艦1隻 駆逐艦4隻 潜水艦10隻 砲艦5隻 補助船3隻
+紅海・インド洋・太平洋方面の軍港
◆マッサワ(Massaua)
エリトリア第二の都市であり、エリトリア最大の軍港都市。開戦時点では、東アフリカ方面の唯一のイタリア海軍の大規模軍港都市である。紅海艦隊の母港であり、インドから紅海を抜けて地中海に向かう英国のシーレーンを脅かすという任務が課せられた。開戦後はスエズ運河を封鎖されている以上、戦力増強が不可能となる。
□紅海艦隊司令部(カルロ・バルサモ提督)
紅海・インド洋方面の作戦行動を管轄する。
所属艦艇:駆逐艦7隻 水雷艇2隻 MAS艇5隻 武装小型艇7隻 潜水艦8隻 仮装巡洋艦2隻 通報艦1隻 砲艦2隻 機雷敷設艦1隻 補助船10隻
◆天津(Tientsin)
中国の主要都市の一つであり、義和団事件へのイタリア軍の介入後、イタリアは天津に租界を保有している。小規模ながら、イタリア海軍唯一のアジア・太平洋方面に展開する極東艦隊の司令部が設置されている。戦局が進むにつれて、紅海艦隊の残存艦や遣日潜水艦作戦でやってきた潜水艦を吸収するなどして、最終的に機雷敷設艦1隻、砲艦1隻、通報艦1隻、仮装巡洋艦1隻、潜水艦3隻の計7隻まで戦力を増強した。
□極東艦隊司令部(ジョルジョ・ガッレッティ大佐)
アジア・太平洋方面の作戦行動を管轄する。
所属艦艇:機雷敷設艦1隻 砲艦1隻
『帰ってきたムッソリーニ』の聖地巡礼! ―ドゥーチェが周ったルートを辿ってみよう―
昨日、イタリア文化会館で開催された『帰ってきたムッソリーニ』の一般試写会にお招きいただいたので、9月20日の本上映より一足早く見てきました!(といっても、既に4月の段階でイタリア映画祭にて先行上映を見ているので、かれこれ何回か見ています)。今回のブログ更新は、そんな『帰ってきたムッソリーニ』に登場する実際の場所を紹介しようと思います。所謂、聖地巡礼ですね!とりあえず、私が行ってきた範囲で!(一応念のためネタバレ気にするの人は見ない方がいいかも...)
:ローマ
◇ヴィッラ・トルローニア
―王国宰相時代のムッソリーニ一家の邸宅―
まず、最初はやはりヴィッラ・トルローニア(Villa Torlonia)!
この邸宅は、イタリア王国の首相となったムッソリーニが1925年から1943年まで借り受けた邸宅です。ムッソリーニ一家が住んだのが、この大きな敷地内の本館であるカシーノ・ノビレ(Casino Nobile)。
元々は貴族のトルローニア家の邸宅だった建物で、当時のトルローニア家当主だったジョヴァンニ・トルローニア公爵が1年間1リラという安値でムッソリーニに貸し与えたものでした(ムッソリーニに貸した後、トルローニア公爵は敷地内の別の屋敷に移り住みました)。なお、このトルローニア公爵は元々ボルゲーゼ家の出身で、トルローニア家の娘と結婚したため、トルローニア家の跡継ぎになった...という形です。
さて、このヴィッラ・トルローニアは、現在は博物館として一般公開されています。映画の作中でも子どもたちが社会科見学で訪れていましたね。当然、元は貴族の屋敷であるため、内部は非常に豪奢な作り!1Fはエントランスや映像室など、2Fはドゥーチェの寝室、3Fは美術館室になっています。
作中ではドゥーチェが家に「帰る」シーンで登場します。まぁ博物館となっているため、当然すぐに出なければいけなくなるわけですが...
勿論、ドゥーチェの寝室にも入ることが出来ます。なお、作中では邸宅の前に置かれた壺の下から鍵を取るシーンがありますが、実際はあそこには壺自体がありません(笑)。邸宅内部にはムッソリーニ一家が邸宅として利用していた頃の写真が数多く展示されており、更に映像室では当時の映像や、ムッソリーニの三男ロマーノ氏(ドゥーチェの孫娘アレッサンドラの父)へのインタビューも見ることが可能です。
アクセスとしてはローマ地下鉄B線「ポリクリニコ」駅から徒歩圏内で、バスでも行くことが可能です。アクセスが良く、しかも地球の歩き方にも載っている場所です。
◇エウル地区
―ムッソリーニが万博のために造らせた新市街―
エウル地区はローマ郊外に広がる新市街で、ムッソリーニが1942年に開催されるはずだったローマ万博(第二次世界大戦のため中止)のために造らせた場所です。ファシスト政権期の著名な建築家たち(テッラーニ、リーベラなど)の代表的な建築が立ち並ぶ地区で、ファシスト建築ファンにはたまらない場所!フォロ・イタリコとエウル地区はローマを訪れたらぜひとも行ってほしい場所です。
作中では、ムッソリーニがイタリア周遊の旅に出る出発点として登場します。カナレッティがあえてここを出発点として通ったのは、やはりムッソリーニがここの建設を命じたということを知っていたからでしょうか?
作中終盤のシーンでもそれっぽいところが出てきますが、ここかどうかはわかりません。場所を特定したいところですね...
エウル地区は広いため、ローマ地下鉄B線の駅が4つもあります。そのため、自分たちの行きたい場所に合わせて地下鉄を利用するのが良いでしょう。
◇ヴェネツィア宮
―ムッソリーニが数々の演説をした場所―
ファシスト政権期、ムッソリーニの執務室が置かれ、事実上「イタリア帝国の中心」であったヴェネツィア宮。
この宮殿のバルコニーでは、1940年の対英仏宣戦布告演説(第二次世界大戦へのイタリアの参戦演説)を始めとする、数々のムッソリーニの演説が行われたことで知られています。日本のエピソードだと、イタリアを訪れた松岡洋右外相がこのバルコニーからムッソリーニと共に集まったローマの民衆に挨拶していましたね。
作中では終盤に車でこの前をムッソリーニが通るシーンがあります。このヴェネツィア宮の前の広場がヴェネツィア広場で、ファシスト政権期はムッソリーニの演説を聞こうと多くの民衆がここに集まりました。
ファシスト政権期は事実上イタリアの心臓部と言える場所であり、更に「ファシズムというイデオロギーの中心」ともされました。そのため、ローマの都市開発もここを中心に行われ、例えばこのヴェネツィア宮からコロッセオを繋ぐフォーリ・インペリアーリ通りはファシスト政権期に「帝国通り」の名の下で作られた大動脈でした。
この道路の建設は、古代ローマ帝国の象徴たるコロッセオと、ファシズムの中心であるヴェネツィア宮を結びつけることで、視覚的に古代ローマ帝国とファシスト・イタリアの連続性を表現した...というわけです。この通りではファシスト政権期に数々の軍事パレードが行われました。
アクセスとしてはローマ地下鉄B線「コロッセオ」駅から徒歩でフォーリ・インペリアーリ通りを通ってヴェネツィア宮に向かうと、歴史を感じられて面白いです。
◇プレダッピオ
―ムッソリーニの生まれ故郷―
エミリア・ロマーニャ州にある小さな山間の町、プレダッピオ。ここは、ムッソリーニが生まれた町として知られています。作中ではムッソリーニのイタリア全土周遊の旅で、わずかなカットシーンが登場するのみですが、ムッソリーニ好きにとってはたまらない、まさに「聖地」と言える町です。
まず、プレダッピオ市のランドマークである「ムッソリーニの生家」。現在も保存されており、博物館として公開されています。内部の家具などはありませんが、ファシスト政権期のプレダッピオ市の発展(ムッソリーニは出身地であるプレダッピオにも数々のファシズム建築を作った)がよくわかる写真などが飾られています。
次に、ムッソリーニ一家の廟。プレダッピオ郊外にある共同墓地の中心にあり、この地下にムッソリーニを含む一家の棺が置かれているのです。敗戦国の独裁者の墓所がここまで豪華、というのは珍しいでしょう。しかも、戦後に作られたもので、当時のイタリア政府(アドネ・ツォーリ政権)がOKを出しているのです。
当然、ネオ・ファシストらの「聖地」でもあり、彼の命日には多くの参拝客が訪れます。とはいえ、ファシストじゃなくともムッソリーニに同情的なイタリア人は映画で語られたように割と多く、例えばプレダッピオ市民には「地元から出た偉人」という扱いで好意的に捉えられています。
そして、何と言っても凄いのが、プレダッピオ市の土産店!何とドゥーチェグッズをずらりと揃えています!シャツや胸像、ペン、ポスター、オリジナルワイン(映画作中でもチラッと登場)、何でも来い、という感じ。中にはムッソリーニだけじゃなく、かのヒトラーのグッズ(ドイツには売っていません)や、更には旭日旗グッズなんかもあったり、めっちゃ枢軸のかほりがするお店です。お店の人がとても親切で、良いお店です!
ドゥーチェ好きにはたまらない!
一応、イタリア各地ではたまにムッソリーニグッズを売っているお店が存在します。ムッソリーニゆかりの地に多く、例えば、北部イタリアのガルダ湖畔(イタリア社会共和国の中心)やグラン・サッソ(ムッソリーニが幽閉された場所)など。以前はもっといろんなとこで売っていたようですが...でも、プレダッピオの土産店の品ぞろえに勝てる店は、イタリアのどこを探しても存在しない!
アクセスとしては、鉄道でフォルリ駅まで行き、そこからタクシーもしくはバスでプレダッピオに向かうのが最適です。バスは時間がシビアなので、タクシーがおススメ。フォルリ駅はボローニャ駅から約1時間程度の距離です。
◇ラティーナ
ラティーナはローマ近郊の都市で、1930年代に新たに作られた若き都市。この都市はムッソリーニが主導した大規模干拓事業によってアグロ・ポンティーノ大湿地帯が干拓されたことによって建設されました。当時の名前は「リットーリア」。これは、古代ローマの警士である「リークトルの~」を意味する形容詞に由来しています。
ファシスト政権期に作られた都市は結構ファシズム体制に関連する名前が付けられていて、例えば同じく干拓事業で建設されたサルデーニャ島のアルボレーア市は、ファシスト政権期には「ムッソリーニア」と呼ばれていました。
さて、このラティーナですが、作中ではムッソリーニがイタリア周遊の旅の最中で、農家の農作業を手伝うシーンで出てきます。ファシスト政権期もムッソリーニはここで農作業をしているので、そのオマージュという感じでしょうか。当時の国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世とのほほえましい農作業シーンもあります。
ラティーナの農地開拓の歴史を知りたいならば、ピアーナ・デッレ・オルメ歴史博物館がおススメ。当時の映像や写真、更には等身大のジオラマでファシスト政権期のラティーナの歴史を紹介しています。ただ、アクセスが滅茶苦茶悪いです。というか、この辺は車が無いとかなりしんどいでしょう(私は徒歩で行きましたが、確実におススメしません)。ローマ・テルミニ駅からラティーナ駅までは、Rで約40分程度。
◇ナポリ
―太陽降り注ぐ「永遠の劇場」―
イタリア南部最大の都市で、イタリアではローマ、ミラノに次ぐ第三位の都市ナポリ。作中のムッソリーニの全土周遊旅行でガッツリ登場します。作中で独裁への肯定的意見や、中央政府への不満が聞かれるように、南部は伝統的に反中央政府で、更にムッソリーニ及びファシスト政権への拒否感が少ない地域です。実際、私が滞在中や旅行中に出会った南部の人は概ねムッソリーニに肯定的でした。
例えばですが、シチリア出身の大家さんはプレダッピオで買ったドゥーチェの胸像を見ても怒るどころか「ドゥーチェ!」と言ってとても喜び、ナポリの鉄道で仲良くなった男性は「ファシスト政権史を調べている」と言ったら「ムッソリーニ好きなのかい?アイツはいい男だぜ!」と返してくれたり....と、いう感じです。
アクセスは簡単。ローマ・テルミニ駅からバビュッとアルタヴェロチタ(イタリアの新幹線)に乗れば約1時間でナポリ中央駅まで着きます。日帰り観光も可能ですが、ナポリは食の宝庫なので泊まるのがおススメ。ピッツァが安いし美味い!
―中部イタリアを代表するルネサンスの古都―
中部イタリアの主要都市で、トスカーナ州の州都フィレンツェ。在伊日本人も多く暮らしており、日本人的にも馴染みの深い町。作中では、ムッソリーニのイタリア周遊の旅のシーンで、ヴェッキオ橋や中央市場などがガッツリ登場します。
ムッソリーニがキアニーナ牛の純粋性を語るシーンは、フィレンツェの中央市場が舞台。キアニーナ牛はトスカーナのブランド牛で、最近は日本でも輸入されています。おススメは、中央市場のキアニーナ牛バーガー!ボリューム満点で美味いです。
なお、ファシズムやムッソリーニに関しては、基本的にフィレンツェを含むトスカーナは否定的な意見が多い...というか、寧ろかなり嫌われています。それは、トスカーナが左派色が強く、旧パルチザン層がメインだからです。
アクセスは簡単!ローマ・テルミニ駅からアルタヴェロチタでバビュッと約1時間半程度でフィレンツェ・S.M.ノヴェッラ駅に着きます。
◇ミラノ
―イタリア経済を牽引する北部の中心―
北部イタリアの中心都市で、イタリア第二の都市ミラノ。イタリア経済の中心であり、イタリアの時代の最先端を行く街。日本人観光客的にはレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリーア・デッレ・グラツィエ教会があったり、ファッションブランドの店が数多くあることで知られていますね。
ファシズム的な観点で見ると、ミラノはファシズム発祥の地であり、更には1943年のイタリア分裂で成立した「イタリア社会共和国」の中心として、最後の最後までファシズムの支配にあった街でした。戦後はキリスト教民主主義が支持層でしたが、現在は連立与党であるLegaの支持母体の街だったりと、結構右寄り。
ムッソリーニが殺害されたのちに吊るされたのは、このミラノのロレート広場。また、イタリア社会共和国時代に中心となったガルダ湖畔のサロや、ムッソリーニがパルチザンに殺害されたコモ湖畔はミラノから鉄道で行くことが可能です。
アクセスは、ミラノまで直接成田空港からアリタリア航空の直行便が出ているほか、ローマ・テルミニ駅からアルタヴェロチタで約3時間程で着きます。ローマからミラノまで国内便を使うって手もあります。主要都市なので行き方色々。
これらの舞台の他にも、リッチョーネの浜辺や、場所の特定が出来ていない場所含めいろんな箇所が登場します。全部特定出来たら、「ドゥーチェのイタリア旅行の再現」も可能ですね!頑張って特定したいところです。
さてさて、『帰ってきたムッソリーニ』の劇場公開はもう来週、9月20日になりました!
私もまた見に行きますぞ~(勿論DVDも出たら買います買います)
日本では貴重なドゥーチェ映画なので、是非とも劇場に足を運んでみてください~