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「美食大国」イタリアの海軍メシ!第二次世界大戦時のイタリア海軍の食事について

イタリアと言えば、世界に冠たるグルメ大国。故にイタリア海軍も結構美味いもん食ってたんだろう、という予想をする方々も多いだろう。結論から言うと、「結構美味いもん食っていた」。これは日本軍でも言えることだが、食料も調理設備も無い陸軍の前線とは異なり、軍艦は調理する設備も整っていたため、戦地でも美味しいものが食べれたわけである。総じて世界の海軍は「美食だ。日本海軍でも「海軍カレー」などの海軍ゆかりの料理も存在し、海軍と料理の繋がりは切っても切り離せないだろう。

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重巡「ザラ」甲板にて、食事を食べる水兵たち。戦時中の写真を見ても、食事の時は皆笑顔だ。

なお、第二次世界大戦時のイタリア軍は何かと食事でネタにされることが多いが、その多くは明らかなデマ。例えば、「伊陸軍が砂漠のど真ん中でパスタを茹でて、水が枯渇してドイツ軍に助けを求めた」、という「砂漠パスタ」の話があるが、当然これはデマである。北アフリカ戦線のイタリア兵は食料どころか飲み水にすら困窮している状態で、戦場でパスタを茹でる余裕はなかった

そもそも、パスタを満足に茹でられる水が仮にあったならば、兵士たちはパスタを茹でずそのまま飲んでいたに違いない。それほど、灼熱の砂漠の戦場では水は貴重だったのだ(この辺は北アフリカ戦線の映画を見たことがある人ならわかるはずだ)。また、伊軍が戦場でパスタを茹でても、基本はショートパスタのスープである(所謂ミネストラ/ミネストローネ)。つまり、茹で汁は捨てない。当然のことながら、これらは(そもそもデマであるが)陸軍の話であり、海軍は一切関係ないので注意されたし。

前作った記事で陸軍方面の食事についてもまとめてあるので参考までに。

associazione.hatenablog.com

 

■イタリア海軍の士官食と料理学校

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イタリア海軍時代のアントニオ・カンチェーミ氏(Antonio Cancemi)。軍の料理学校であるサン・バルトロメオ国立調理学校を首席卒業した彼は、紅海艦隊の総料理長を経て、日本に初めて本格的なイタリアンを伝えた。

イタリア海軍の食事メニューは将官/士官と水兵で大きく異なった。こればかりは仕方が無いのかもしれないが、水兵が豆のスープやミネストローネを食べている一方、士官はリストランテ並みの食事を食べていたりするので、「悪いなのび太、この食事は士官用なんだ」感が強い。実際、イタリア海軍の料理人たちは料理学校を首席卒業した料理人もいたりしたので、総じてレヴェルは高い。
例えば、戦時中に日本に来訪し、日本初のイタリアンレストランを開いたアントニオ・カンチェーミ氏(Antonio Cancemi)は、元々は海軍の料理人として、マッサワを拠点とするイタリア紅海艦隊(東アフリカ戦線崩壊後は極東艦隊)の料理長を務めている。その実力は折り紙付きで、サン・バルトロメオ国立調理学校を首席卒業している実力者だ。なお、サン・バルトロメオ国立調理学校はイタリア軍の料理学校で、民間の料理人から他国に情報が洩れるリスクを考え設立された。この学校の卒業者はカンチェーミ氏のように高級将校の専属料理人として勤務する場合が多かったそうだ。

なお、興味深いことだが、日本海軍の場合は士官食は基本的に実費であるが故に史料として残っていないのだが、イタリア海軍の場合は士官食の方が詳細に史料が残っており、レシピも残っている。この辺は食事意識に関する認識の違い故なのだろう。

 

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重巡「ザラ」

イタリア海軍の士官食の例として、重巡「ザラ」士官の昼食メニュー(1933年)を見てみると、

◆前菜Antipasto:魚介のアンティパスト
◆プリモPrimo(パスタ):アサリのヴェルミチェッリ
◆セコンドSecondo(メイン):煮魚料理
◆ドルチェDolce:チョコレートのスフレ
 果物、ワイン

 

御覧の通り、結構いいもんを食べている。地中海らしく、海の幸をふんだんに使っている。こちらは戦間期のものであるため、平時戦時では多少の違いはあっただろう。しかし、遠征地で戦う紅海艦隊や大西洋艦隊などとは異なり、本土周辺で活動するために兵站は安定していたため、戦時下でも質の高い食事は食べれたはずである。

 

■水兵たちの食事と地域料理

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ソルダーティ級駆逐艦「ベルサリエーレ」甲板にて、豆のスープを食べる水兵たち。

水兵たちが食べるメニューは、陸軍同様に配膳がしやすいスープ料理が多かった。そういったスープ料理には特にイタリア各地の地域料理が多く取り入れられたイタリアの料理は地域性が強く、所謂日本人のイメージする統一的な「イタリアン」というものは本来存在しない。「イタリア料理」なるものは、イタリア統一後に料理人ペッレグリーノ・アルトゥージ(Pellegrino Artusi)によって半ば"人工的"に作られたものであり、現在に至るまでイタリア全土で統一的に食べられている食事はそう多くはない。地域どころか、家庭ごとで料理のレシピは無数に存在するからだ。

それゆえか、イタリア海軍でも地域料理は好んで取り入れられたイタリア各地から集まった海軍将兵は、自らの出身地の親しみのある料理から、全く知らない場所の未知の料理まで、様々な料理を楽しんだことだろう。例えば、もし仮に海軍の料理でヴェネツィア料理だけを出していたりしたら、それ以外の地域の出身者からの批判が相次いでいたに違いない(当然、艦や物資によって偏りは生じただろうが)。

例えば、訓練船「クリストーフォロ・コロンボで出されていた「帝国風スープ(Zuppa Imperiale)」はその名前と対照的に非常にシンプルなロマーニャ料理で、卵と小麦粉とパルミジャーノを混ぜてブロック状に固めたものを、ブロードで煮込んだスープである。日本で例えるなら「すいとん」だろうか。
水上機母艦「ジュゼッペ・ミラーリア」で出されていた「ミラノ風ミネストローネ」は、具材にパスタ以外に米が用いられていたり、牛肉のブロードが効いたコッテリめの味だったり、北部イタリアらしい調理法になっている。イタリアは欧州でも米食文化が定着していたため、海軍でも米が食べられていた。ドルチェに関しても、ナポリ名物の「ババ」を出す艦もあった。スパッカナポリではお馴染みのアレだ。

また、イタリアンらしい料理だけでなく、外国料理も出していたようで、重巡「ポーラ」ではウクライナ料理のボルシチをモデルとした独自レシピの「ロシア風スープ」が作られた。

参考までに、重巡「ポーラ」特製の「ロシア風スープ」の材料を載せておこう。
豚肉:500g
玉ねぎ:1個
キャベツ:200g
砂糖:スプーン1杯
トマト:2個
クレームフレーシュ(サワークリーム):1デシリットル
サルシッチャ:200g
ビーツ:300g
酢:スプーン1杯
ローリエ:1枚
ハム:200g
塩、コショウ本場のボルシチ同様にビーツやサワークリームが使われているが、色付けのためにトマトを入れてあったり、イタリアらしくサルシッチャが入っているなどところどころアレンジが加えられている

 

■イタリア潜水艦の食事事情

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潜水艦「グリエルモ・マルコーニ

次に、戦時中に最も過酷な任務を担ったイタリア潜水艦の食事事情を見てみよう。潜水艦は小型の船体であるため、満足な調理環境があるとは言えず、また少数の人員であることから基本的に乗組員の食事は全て同じだった。例えば、大西洋戦線で活動した2隻の潜水艦(潜水艦「マルコーニ」及び潜水艦「ヴェレッラ」)の食事を見てみよう。

 

◆潜水艦「マルコーニ」の食事(1941年10月21日)

・レンズ豆のピクルス

・レンズ豆のミネストローネ

・牛タンのサラミ レンズ豆のピューレ添え

・フルーツのシロップ漬け、コーヒー

・ワインは白か赤かを選択可能

◆潜水艦「ヴェレッラ」の食事(1941年8月21日)

・キノコのオレッキエッテ

・牛肉のロースト じゃがいもとズッキーニ添え

・梨、リキュール or コーヒー

・ワインは白か赤か選択可能

 

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映画『大いなる希望(原題:La grande speranza)』のワンシーン。水兵が玉ねぎの調理で涙を流している。

水上艦とは異なり、保存食や日持ちする食材がメインであるが、そこはグルメ大国イタリア。イタリアの潜水艦クルー達は工夫を凝らして、美味しそうなメニューを作っている。 標的に乏しい南大西洋に拘わらず、イタリア潜水艦が多くの戦果を挙げられたのはこういった美味しい食事も理由の一つにあるのかもしれない。なお、イタリア潜水艦の食事シーンが気になる人は潜水艦「コマンダンテカッペリーニ」の戦歴を描いた映画『大いなる希望(原題:La grande speranza)』を見てみよう。潜水艦内での食事作りのシーンも出てくるため、結構参考になる。

 

■イタリア戦艦はジェラートがお好き?

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戦艦「コンテ・ディ・カヴール」。実はグルメなエピソードが結構ある艦。

美食の国の海軍らしく、イタリア海軍の食事はドルチェ(デザート)も重視した。日本海軍の戦艦「大和」やアメリカ海軍の戦艦でアイスを製造する設備があったことは知られているが、これはイタリア海軍も例外ではなく第一次世界大戦時の「旧式戦艦」を大規模改装したコンテ・ディ・カヴール級戦艦ですら、ジェラート製造機を搭載していた。例えば、戦艦「カヴール」では朝食からジェラートが振舞われているが、朝から食べたらお腹が冷えそうである。

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各町のジェラテリア(アイス屋)巡りはイタリア旅行の醍醐味だ。

というのも、イタリアは現在でもアメリカと共に「ジェラート(アイス)大国」であり、その歴史は古い。余談だが、一般的にアイスクリームはイタリアが発祥地とされており、17世紀にフランチェスコ・プロコピオ(Francesco Procopio)というシチリア人料理人が広めたとされている(シチリアはエトナ山の氷雪を生かして質の良いジェラートが作れたそうだ)。アメリカで広まったアイスもイタリア系移民が発祥であり、今日では広く愛されるアイスクリームコーンも、ヴェネト出身のイタリア移民であるタロ・マルキオーニ(Italo Marchioni)が生みの親だ。

また、軍艦ごとに料理の独自のレシピが存在し、各艦ごとに拘りがあったことがわかる。これはドルチェも同様で、例えば、戦艦「カヴール」では"Fragole con crema allo sciacchetrà(イチゴのデザートワインクリーム添え)"という名前の特製ドルチェもあった。これは、白ワインに漬けこんだイチゴをリグーリア州チンクエテッレの甘いワインで作ったクリームと盛りつけた、かわいらしいカップケーキだ。

 

■海軍と酒

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水雷艇「スキアッフィーノ」

酒類に関しては、イタリア産の酒だけでなく、外国産の酒もある程度飲まれていたようだ。例えば、水雷艇「スキアッフィーノ」では戦時中初期(1940年10月)の艦内酒保でも、ウィスキーやコニャックといった「敵国」の酒が並んでいた。おそらく、開戦前に輸入していたものだろう。イタリア産だとスプマンテやアマーロ、マルサラ、モスカートといった多種多様な酒が購入可能だった。

戦艦「カヴール」では戦争前(1938年)の例であるが、クリスマス(ナターレ)には用意されたワインとして、赤のバローロ白のカプリと並んで、スパークリングはシャンパンの王道ヴーヴ・クリコがあった。確かにヴーヴは王道だが、軍の酒くらい自前のスプマンテを使って欲しい...と思うのはナショナリズムに染まり過ぎなのだろうか。なお、この時はクリスマスメニューとして、鶏むね肉のフライドチキンが振舞われた。

 

■「美食の国」のメシマズエピソード

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イタリア屈指の「メシマズ艦」、軽巡「バンデ・ネーレ」。

今まで「イタリア海軍の美食」ばかり紹介してきたが、当然だが艦によって食事の差もあった。中には「メシマズ」艦もあったらしく、例えば軽巡ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレでは戦時中、水兵らがあまりの食事の不味さから艦長に抗議しにいった、というエピソードが「バンデ・ネーレ」の水兵からのインタビューでわかっている。

水兵らは食事を「吐き気を催すとまで言っており、数回に渡る激しい抗議によって食事の質は改善されたそうだ。逆に、どのような食事だったのか気になる。なお、「バンデ・ネーレ」はスパダ岬沖海戦や第二次シルテ湾海戦で活躍した歴戦の武勲艦として知られている。

 

■外国海軍と「マカロニ」

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大戦時のソ連海軍では既にマカロニは「定番」だった。

また、イタリア海軍の食事なので「マカロニ」をイメージする人もいるだろう。勿論、イタリア海軍の食事メニューでも「マカロニ」は出されており、例えば重巡「ポーラ」では朝から士官用の食事としてマカロニのパイが出されていた(朝食をあまり食べないとされるイタリア人だが、士官用の食事は結構ヘヴィー)。
だが、「マカロニ」を食事で出していたのは何もイタリア軍に限った話ではないソ連海軍ではマカロニが定番メニューとして既に大戦時には定着しており(既に18世紀にはイタリアから渡ったマカロニがロシア帝国で定着していたそうだ)、現在も「海軍風マカロニ」の名で親しまれている。更には、日本海アメリカ海軍だってマカロニを食べていた(日本へのパスタ製法の伝来自体は19世紀である)。

なお、イタリア本国では「マカロニ」は「マッケローニ(Maccheroni)」で、日本人の想像する「マカロニ」とはやや異なる形状をしている。

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イタリア半島のつま先、カラブリア州レッジョ・カラーブリアのマッケローニ。コシの強い太麺うどんといった食感で、ボリュームが凄い。日本人の想像するマカロニとはだいぶ異なる一品だ。

 

美食大国イタリアの海軍食の魅力、少しでも伝わったなら幸いである。

なお、調査不足故にまだわかっていないのだが、ピッツァをイタリア海軍で出していたかは不明だ。ペスカーラにあるピッツェリアでは、重巡トリエステ」の名に由来するピッツァを売っていたので、何かしらの関係はあるのかもしれない。今後とも調べて行きたい。

名提督はプレイボーイ? 伊海軍が誇る名指揮官、アルベルト・ダ・ザーラ提督の女性遍歴

久々の更新です。第二次世界大戦時のイタリア海軍提督たちの素性(?)を調べていく内に、興味深い情報を色々見つけたので備忘録的なノリで書いていこうと思います。

 

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アルベルト・ダ・ザーラ提督

第二次世界大戦時のイタリア海軍の提督の中で最も勇敢であるとされ、パンテッレリーア沖海戦では僅か軽巡2隻と駆逐艦7隻の艦隊で、戦艦や空母を含む大規模な英艦隊相手大勝利を手に入れた名指揮官、アルベルト・ダ・ザーラ提督(Alberto Da Zara)

そんなイタリア海軍を代表する名指揮官であるダ・ザーラ提督も興味深い話があった。それは女性遍歴である。

ダ・ザーラ提督は結構なプレイボーイだったそうで、特に海外勤務時には「現地妻」を作ることでも知られた。冒険的な性格であった彼は社交界での存在感も強く、よく女性にモテたそうだ。彼に「征服」された女性の数は数知れず。特に有名なエピソードとしては、後に英国王エドワード8世の妻となるウォリス・シンプソンと中国勤務時に一夜を共にしたことがある。エドワード8世とウォリス・シンプソンは「王冠を掛けた恋」で知られている。

イタリア海軍を代表する名指揮官が、「絵に描いたようなステレオタイプなイタリア人イメージというのは興味深い。まぁ、指導者であるムッソリーニも多くの愛人を作った女性遍歴で知られていることを考えると、別に不思議ではないか。なお、ダ・ザーラ提督はそんな遊び癖があったからか、生涯独身を貫き、結婚することはなかった

 

女性遍歴だけでも興味深いが、女性以外にもダ・ザーラ提督が愛したものはあった。それは馬と詩とスポーツである。実家が騎兵一家であったことから、幼いころから馬に親しんだダ・ザーラ提督は、よく愛馬と時を楽しんだ。父パオロ(Paolo Da Zara)は騎兵将校で、弟グイード(Guido Da Zara)も騎兵将校としての道を歩んだため、海軍軍人としての道を歩んだアルベルト(ダ・ザーラ提督のこと)は少し異例かもしれない。なお、弟グイード第二次世界大戦中、ダルマツィアでユーゴ・パルチザンの襲撃を受けて戦死している。

ダ・ザーラ提督は詩が好きな文学愛好家で、中国勤務時は中国文化にも触れて漢詩も親しんでいる。パンテッレリーア沖海戦では敵艦隊に一度海域離脱を許した際に、「何も言うことはない。流石は海のマエストロだよ(Non c'è che dire: gli inglesi per mare sono maestri.)」と詩的なセリフを言ったのは、こういった経歴に由来するかもしれない。

また、スポーツマンであったダ・ザーラ提督は、特にセーリングで高い成績を収めていた。運動も出来て、馬や文学を愛し、紳士的でアグレッシブだった人柄故に、女性からも好かれたのだろう。

 

◇参考文献

Alberto Da Zara, Pelle d'ammiraglio, Uff. Storico Marina Militare, 2014

Arrigo Petacco, Le battaglie navali del Mediterraneo nella seconda guerra mondiale, Mondadori, 2013