東アフリカ戦線の激戦地を巡ろう! ーケレンとアゴルダトの観光案内ー
さて、前回に続いて今回もエリトリアの観光案内を扱っていきましょう!
今回は第二次世界大戦時、東アフリカ戦線の激戦地として知られたケレンとアゴルダトについてクローズアップしていきたいと思います。
⬛︎ケレン Keren, Cheren
ー市場の街として栄える第二次世界大戦時の激戦地ー
地方区分:アンセバ地方
アンセバ地方の州都で、2019年12月現在アスマラに次ぐ人口を持つエリトリア第二の都市。市場の街として栄え、イタリア植民地時代には鉄道の敷設と共に、経済の中心地として発展した。イタリア時代の建築もアスマラに次いで数多く保存されている。交通の要衝であることから様々な民族・言語・文化が混ざり合う特異な街で、エリトリア唯一のアガウ諸語であるビレン語を話すビレン人達も、ケレン周辺にのみ分布している。
第二次世界大戦時には、戦略的に重要であったために、イタリア軍と英軍の激戦地となった。そのため、戦いのゆかりの場所が多い。「ケレンのイタリア兵」の勇敢さは敵である英軍も敬意を示したほどで、両軍に数多くの死傷者を出している。戦いを指揮し、戦死したロレンツィーニ将軍を始めとする戦死者達はイタリア人墓地に埋葬された。
◆アクセス
車→アスマラから約2時間。平坦で緩やかな道を進み、途中から峠道に変わる。マッサワ方面より路面状態は悪いため、結構揺れるので注意。交通量が多い割には道が狭いため、しばしばちょっとした渋滞が起こる。
バス→アスマラからバスがある。約3時間。
鉄道→現在復旧中
◆ケレンの名所
◇マリアム・デアリット
1825年にサン・フランチェスコ会によって作られた、バオバブの幹を使った聖堂。生きた木の幹の内部に聖堂を作る、というスタイルは世界でも珍しく、神秘的な雰囲気。
第二次世界大戦中、英空軍の激しい爆撃がケレンを襲ったが、この木に身を隠したイタリア兵は無事に爆撃から生き延びた、というエピソードがある。
◇サンタントニオ大聖堂
ケレンの中心的な建築として知られる、巨大なカトリック大聖堂。イタリア植民地時代の建築ではなく、独立後に造られた現代建築。
◇サン・ミケーレ教会
ケレン初の近代建築。元々あった教会は1871年にエジプト軍によって破壊されたため、カトリック宣教師が1873年に再建した。
◇サン・ガブリエーレ教会
最近作られた新しい現代建築の教会。UFOのような特異な外見が特徴的。
◇グランド・モスク
1896年に完成したケレンを代表するモスク。
◇ケレン市庁舎
ケレンを代表するイタリア建築で、現在もケレンの市庁舎として使われている。
◇カーサ・デル・ファッショ
イタリア植民地時代のファシスト党ケレン本部。現在は「チネマ・インペロ」という名前の映画館として使われている。元々はファシスト党の象徴である「ファッショ」のファザードが取り付けられていたが、第二次世界大戦時に英軍がケレンを制圧した後、取り外されてしまった。
◇ケレン駅
かつてのエリトリア鉄道のケレン駅舎。1910年着工だが、第一次世界大戦の勃発や、資金不足による建設会社の倒産などによって、完成が1922年にまでずれ込んだ。現在はバスターミナルとして使われている。
◇デ・ポンテ社
1916年に完成したイタリア植民地時代の建築。イタリア入植者の植民地企業、G.デ・ポンテ社の本社が置かれていた。現在はケレンの信託銀行として使われている。
◇郵便局
1920年代に作られた植民地時代の郵便局。
◇イタリア軍墓地
第二次世界大戦後、1950年に作られた墓地。ケレンの戦いで戦死したイタリア人将兵614名とエリトリア人アスカリ兵614名が埋葬されている。ケレンの戦いを指揮し、戦死したロレンツィーニ将軍の墓所もある。
◇英連邦軍墓地
ケレンの戦いで戦死した英兵及び英帝国の兵士達440名が埋葬された墓地。
◆ケレンのホテル
◇Sarina Hotel
ケレンの入り口にある新しいホテル。アスマラから訪れた時、真っ先に目に入るだろう。市の中心部からはやや離れている。レストランも併設。ケレンでは最も良い。
◇New Costina Hotel
ケレン中心部に位置する新しいホテル。市内観光には丁度良い。
ケレン中心部、マーケットで賑わう区域にあるホテル。
◆ケレンの食事
◇Portico Restaurant
Sarina Hotelから市街地に向かって右側の街道沿いにあるレストラン。パスタなどのイタリアンもあるが、特にエリトリアの伝統料理が美味しい。インジェラセット(飲み物込み)で100ナクファ。インジェラは酸味が控えめで食べやすい。個人的にはエリトリアで一番美味しいインジェラ。肉は辛さが苦手な人は辛くないスタイルにしてくれる。肉とルッコラとインジェラの絶妙な組み合わせが美味。ボリュームも満点。
⬛︎アゴルダト Agordat
ー旧鉄道の終着点である河畔の町ー
地方区分:ガシュ・バルカ地方
ケレンを越えて更に西側に進んでいくとある町がアゴルダトだ。1978年に独立闘争の激化で鉄道が廃止されるまで、鉄道沿線で最後の主要都市だった。
バルカ河畔にある町で、肥沃な大地に囲まれているため、周辺で採れた作物が集積する農業都市・市場の街としても機能している。また、近郊のビシア鉱山は植民地時代の鉄道の終着点で、現在はエリトリア最大の金鉱山として知られる。また、ガシュ・バルカ地方では「アグド」と呼ばれる伝統的な藁葺き屋根の家屋が見ることが出来る。
交通の要衝であるため、第二次世界大戦時にはケレン同様に激戦地となった。英軍に「悪魔の指揮官」と呼ばれ畏怖された、イタリア軍のグイレット大尉率いるアムハラ騎兵隊が、アゴルダトの戦いで英軍戦車部隊を撃破して友軍の撤退の血路を開いたことで知られている。「第二次世界大戦中の伊軍騎兵部隊の活躍エピソード」はこれと、東部戦線のサヴォイア竜騎兵連隊が有名だ。
◆アクセス
車→ケレンから約2時間。路面状態が悪い上に危険な峠道であるため、悪天候により閉鎖されることもあるため注意。
バス→ケレンからバスがある。約4時間。
鉄道→現在復旧中
航空機→民間機のみ
◆アゴルダトの名所
◇オベリスク
第二次世界大戦時のアゴルダトの戦いで犠牲になったイタリア将兵と市民の慰霊碑。
◇アゴルダト駅
旧エリトリア鉄道の駅舎。1928年完成。
現在はアゴルダトの民間機用のローカル空港として再利用されている。空港として使われているため、無用なトラブルを避けるために写真の撮影は控えておこう。
◇グランド・モスク
エチオピア支配期、ハイレ・セラシエ帝の命によって造られたアゴルダトのシンボル。
◇アゴルダト要塞
植民地時代にイタリアが築いた要塞。第二次世界大戦時、伊軍の司令部が置かれた。
◇ビシア鉱山
現在はビシャ(Bisha)と呼ばれており、金鉱山をはじめとするエリトリア最大級の鉱床として開発が進められている。植民地時代にはエリトリア鉄道の終着駅が存在した。
◆アゴルダトのホテル
◇B.G.Selassie
アゴルダトの中心部にあるホテル。
Belamberasという名前でも知られている。観光客に人気。
◆アゴルダトの食事
◇Meseker Restaurant
バルカ地方の伝統的な料理が有名。
◇Abdul Rakim Restaurant
トルコ風の本場ヨーグルトが美味しい。
「紅海の真珠」と謳われた古都、マッサワを旅しよう!
さて、前回に引き続きエリトリアの観光ガイドを載せていきます。今回は紅海沿岸の古都、マッサワの観光ガイドです!ちなみにエリトリアでは一番好きな街でした。
⬛︎マッサワ Massawa, Massaua
ー珊瑚で築かれた「紅海の真珠」ー
地方区分:北紅海州
北紅海州の州都で、エリトリア最大の港湾都市。「紅海の真珠」と称される美しい古都で、古くから紅海交易で栄えた。アスマラから向かう際は、高度2300mから一気に下るため、気候の差に驚くと共に、耳が聞こえづらくなる。そんな時は欠伸をしよう。
紅海沿岸に進出したイタリアが、アッサブに次いで領有した港でもあり、エリトリア植民地成立後は最初の首都が置かれた。元々、マッサワは島であったが、イタリア植民地時代に交通を円滑化するために島の間に埋め立てて道路とパイプラインを建設した。
イタリア植民地時代にはイタリア海軍の紅海艦隊(フロッタ・デル・マル・ロッソ)の母港が置かれ、軍事的にも重要拠点となる。第二次世界大戦時、同盟国・日本に訪れて本場のイタリアンを伝えたイタリア人料理人達も、このマッサワから訪れたということは興味深いだろう。
エチオピア支配期にはエチオピア海軍の母港が置かれたため、独立戦争期にはエリトリアのゲリラ軍が「フェンキル作戦」で陸・海双方から奇襲を仕掛け、巧みにこれを奪還した。しかし、エチオピア軍はその報復としてマッサワに絨毯爆撃を行い、多くの歴史的な建物が破壊されてしまった。
現在はエリトリア最大の港湾、そしてエリトリア海軍の軍港として機能しているほか、リゾート地としても開発がされている。
◆アクセス
車→アスマラから約2時間。険しい峠道だが、路面状態は良いため快適なドライブが楽しめる。
バス→アスマラからバスがある。約3時間。
鉄道→アスマラからの鉄道路線があるが、2019年12月現在、旅客路線は運休中。
航空機→マッサワ国際空港。2019年12月現在、定期路線は国内線・国際線共にない。
船→ダイビングスポットとして知られるダフラク諸島への船便がある。
◆マッサワの名所
◇旧皇帝宮殿
16世期にオスマン帝国によって作られた宮殿。イタリア植民地時代はマッサワ市庁舎として使われ、エチオピア支配期にはハイレ・セラシエ帝の宮殿として使われた。周辺の宮殿も皇族たちの宮殿。独立戦争期のエチオピア軍による爆撃によって、現在のような無残な姿になった。戦争時の悲惨さを語り継ぐために廃墟のまま保存されている。
◇旧イタリア銀行
1920年代に造られたイタリア植民地時代の豪奢な作りの銀行。現存するアフリカ最古の銀行建築である。修復されて高級ホテルに改装する案がクウェート企業によって立ち上がっているが、2019年12月現在、そのままの状態で保存されている。
1930年代後半に造られた、マッサワ旧市街を入って最初に目に入るイタリア建築。イタリア人建築家、ウーゴ・ラーマの設計。イタリア植民地時代からホテルとして使われており、独立後もホテルとして営業していたが、2019年12月現在はホテルは閉業している。
◇マッサワ・タウルド駅
タウルド島に位置するマッサワのターミナル駅。マッサワ-アスマラ線の始発駅であり、全イタリア植民地の駅舎でも最も最初期に造られた駅である。巨大な駅舎内は住居としても使われている箇所もあるため、撮影時は注意しよう。
◇マッサワ・ポルト駅
マッサワ島の港湾部に位置する小さな鉄道駅。バス停としても使われている。線路は港湾内に続いており、ここから鉄道に貨物を乗せて内陸部に輸送する。
◇シャヒ・モスク
11世期に作られたアフリカ最古のモスクの一つ。1920年代の地震で倒壊したが、その後イタリアの手により再建された。
◇シェイル・ハマル・モスク
1580年に造られたモスク。サンゴを削って造られたマッサワらしい建築。
◇マッサワ島の古住居群
マッサワ旧市街の古住居はサンゴを用いて作られている。これはマッサワ島自体がサンゴによって形成されていることに由来し、材料としてサンゴが活用出来たため。初期の建築はサンゴをそのまま積み上げただけだったが、後にサンゴをブロック状に削り、まるでレンガのようにして建物を作った。
◇マッサワ港
エリトリア最大の港湾。港湾内には7世期頃の初期イスラーム建築がある。
観光客は立ち入りが禁止されているため見る事は出来ないが、レプリカが州立博物館に展示されている。
◇グルグッサム・ビーチ
マッサワ近郊にあるビーチ。海水浴場として知られ、ビーチではラクダとの撮影も可能。旅の記念に良いだろう。遠浅のビーチで溺れる心配もないし、水温も丁度良く海水浴が楽しめる。海辺のテラスでは飲み物や軽食もある他、土産物の手芸品も売られている。貝殻のネックレスが30ナクファ。Gurgussum Beach Hotelが併設。
◇聖マリア聖堂
タウルド島の入り口にある、ステンドグラスが美しい正教会の聖堂。1953年完成。エチオピア皇帝ハイレ・セラシエが毎年参拝に来ていたことで知られる。
◇マッサワ戦没者追悼公園
エリトリア独立戦争時にエチオピア軍からゲリラ軍が鹵獲した戦車をモニュメントとして飾っている変わった公園。マッサワ戦の戦没者を追悼するために造られ、正面にはイサイアス大統領の碑文が刻まれている。中央の戦車はエリトリアのゲリラ軍が1977年に初めてエチオピア軍から鹵獲した戦車である。
◇北紅海州立博物館
本土側のマッサワ新市街に位置する博物館。2000年にアスマラのエリトリア国立博物館の分館としてオープンした。午後の部は16時半から開館。入館料は無料。
マッサワを中心とする北紅海州の自然や民俗、歴史などに関する博物館である。内部は5つのブースに分かれており、北紅海州の自然や生物を扱ったエリア、アドゥリス遺跡などの考古学エリア(撮影制限あり)、紅海沿岸の多様な民族を紹介するエリア、他国勢力のマッサワ支配期の歴史についてのエリア(イタリア植民地時代の資料が多い)、独立戦争期のエリアがあり、前半後半で1人ずつガイドがついて説明してくれる。旧皇帝宮殿から移動されたハイレ・セラシエ帝のベッドや、独立戦争期の多種多様な兵器や装備などが注目。
◇マッサワ沖の沈没船
マッサワ沖には、第二次世界大戦時のマッサワ包囲戦で沈んだイタリア海軍の水雷艇「オルシーニ」や、フェンキル作戦時に撃沈されたエチオピア海軍艦艇等が沈んでおり、州立博物館近くやRed Sea Hotelから見ることが出来る。州立博物館近くは憲兵の兵舎があるため、誤って撮影しないように注意しよう。
◆マッサワのホテル
◇Dahlak Grand Hotel
マッサワの最高級ホテル。タウルド島の北端、旧皇帝宮殿の前に位置する。マッサワ島へはすぐの位置。敷地内が非常に広く、さながら宮殿。ホテル内の探検がしたくなる広さで、客室数もマッサワで最も多い。
大分年季が入っているが、設備は揃っており、暑く湿度が高いマッサワに必須なエアコンと冷蔵庫は客室に完備。不自由はない。
海水を汲み上げる屋外プールや、レストランも併設。屋上からはマッサワ島を含む周辺一帯が眺められる。
スタッフの対応も親切。公式サイトから予約も可能(イタリア語・英語)。申請をすれば周辺の島への船もチャーターしてくれる。
◇Gurgussum Beach Hotel
グルグッサム・ビーチ併設のリゾートホテル。マッサワのビーチを堪能したい人向け。市街地からは7kmほど離れているため、市内観光には向かない。シュノーケリングなどのアクティビティもチャーター可能。レストランやナイトクラブも併設するなど、一通りの設備は揃っている。
◇Red Sea Hotel
タウルド島の入り口に位置するイタリアン・デザインのホテル。沖合の沈没船を見ることが出来るマリンビューホテル。屋外プール、レストラン・バール併設。ただ、設備がだいぶ古く、老朽化が進んでいる。
◇Savoiya Hotel
マッサワ島の入り口に位置するホテル。バール・レストラン併設で、海鮮料理も。料理が美味しいと評判。ホテルとしては、必要最低限の設備のみが揃っている。
◆マッサワの食事
◇Sallam Restaurant
マッサワ旧市街の中心部にあるレストラン。倉庫を改修した外見からは想像出来ないが、マッサワNo.1の海鮮料理店と人気が高い。夕食のみ営業。アファル人のご主人が振る舞うアファル伝統の魚料理はマッサワに来たなら是非食べておきたい。今朝獲れた新鮮な魚から好きなものを選べる。調理時も見学出来るのが嬉しい。チェルニアのアファル風、飲み物及び焼きたてのパーネ・サルド(青唐辛子の辛いソースと共に)込みで200ナクファ。チェルニアは香ばしくスパイシー。外はカリッと、中はふわっふわ。
◇Yasmin Cafeteria
旧市街の港側にあるバール。エスプレッソや紅茶で一息出来る他、フリッタータやオムレツなどちょっとした食事も可能。フリッタータはチョイスした具材以外にも追加で具材調整が出来る(青唐辛子、玉ねぎ、トマト)。朝食やランチにオススメ。
◇Zenith Bar Restaurant
旧市街の港側にあるバール・レストラン。Yasmin Cafeteriaの隣。朝食から夕食まで営業しており、バールとして軽食やドリンクを扱う他、マッサワ名物の海鮮料理や肉料理を扱う。この通り沿いは夜も多くの飲食店がやっており、人が絶えることはない。
◇Seghen Restaurant
旧市街の入り口、港側に位置するレストラン。朝食から夕食まで営業している。マッサワらしく、海鮮料理がメインだが、インジェラセットも食べられる。
◇Nakfa Snack Bar
旧市街中心部にあるバール。軽食やドリンクを販売している。
次回はケレンを紹介します!