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鉄道で巡るイタリア旅行案内・第一章 ―イタリア半島の「つま先」、カラブリア州の13都市―

今回の更新は普段とは違い、イタリアの観光情報を載せようと思います。今後、こういう感じの更新も増やしていこうと思っています。今回紹介するのは南イタリアカラブリア(カラーブリア)州カラーブリア州はイタリア半島を「ブーツ(Stivale)」に例えると、「つま先」に当たる場所で、美しい海岸線がどこまでも続き、内陸部には山岳地帯が広がる自然豊かな州です。また、古代ギリシャ時代の遺跡が多いことも魅力の一つでしょう。

カラーブリア州は日本人のイタリア旅行では、やや無視されがち。南イタリアのパックツアーでも、含まれてない場合が多いです。ですが、カラーブリア州は観光地化がそこまで進んでおらず(ただし、夏季は多くの観光客が海水浴に訪れます)、昔ながらの街並みや、現地の生活感も楽しめる魅力あふれる場所で、私としてはイタリアで最も「推し」な州です。

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シーバリ駅(Stazione di Sibari)のFS線。カラーブリア州では切符に都市間高速鉄道「IC(InterCity)」と書いているにも拘らず、こういう鈍行列車がくる場合が多々ある。

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カタンツァーロ・プラティカ駅(Stazione di Catanzaro Pratica)の私鉄路線カラーブリア鉄道(Ferrovie della Calabria, FC線とも)。州都カタンツァーロと北部の主要都市コゼンツァを結ぶ。結構便利。

他の州に比べて、特に鉄道が不便な州ではありますが、そういう州だからこそ鈍行鉄道の旅が乙なものです。そこで、今回は私が鉄道で訪れたカラーブリア州の13カ所の町を軽く紹介してみようと思います。

今回紹介するのは以下の13カ所。

カタンツァーロ(カタンツァーロ県)
◆レッジョ・カラーブリア(レッジョ・カラーブリア県)
◆トロペーア(ヴィボ・ヴァレンティア県)
◆ピッツォ(ヴィボ・ヴァレンティア県)
◆コゼンツァ(コゼンツァ県)
◆ベルモンテ・カーラブロ(コゼンツァ県)
◆クロトーネ(クロトーネ県)
◆スティーロ(レッジョ・カラーブリア県)
◆アマンテーア(コゼンツァ県)
◆モナステラーチェ(レッジョ・カラーブリア県)
◆ロゼート・カーポ・スプーリコ(コゼンツァ県)
◆シーバリ(コゼンツァ県)
◆ヴィッラ・サン・ジョヴァンニ(レッジョ・カラーブリア県)

 

カタンツァーロ(Catanzaro)

山腹に築かれた緑豊かな州都

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カタンツァーロ歴史地区(Centro storico di Catanzaro)。

カラーブリア州の州都、カタンツァーロ。「カタンザーロ」とも。ビザンツ帝国によって山腹に築かれた都市で、人口ではレッジョ・カラーブリアに次ぐカラーブリア州第二の都市となっています。イオニア海岸から13km程入った岩山にある市街地と、沿岸部のリド地区で構成される町ですが、観光地としてはマイナー扱い。理由としては、相次ぐ地震と戦火によって、多くの歴史的な建築が失われてしまったことが大きいようですが、当然魅力が全く無いわけではなく、この町はこの町独特の魅力があります。 スティーロやモナステラーチェなどの周辺の小さい町を巡るのにもアクセスが割と良いので、拠点として用いても良いでしょう。なんだかんだ、私は2度この町に泊まりました。

カタンツァーロにはトレニタリア(FS線)や私鉄路線のカラーブリア鉄道(Ferrovie della Calabria)で訪れる事が可能です。トレニタリアでは丘の上にある新駅(Stazione di Catanzaro)リド駅(Stazione di Catanzaro Lido)があるが、新駅は町から遠い上に周囲はガランとしているので、カタンツァーロ・リド駅がオススメ。カタンツァーロ・リド駅は色んな方向からの鉄道が止まり、ここからカラーブリア鉄道が運営するメトロ(Servizio ferroviario metropolitano di Catanzaro)に乗れるので、これに乗ってカタンツァーロの中心に向かうことが可能です。リド地区からメトロで中心地区に向かうと、山岳列車のように斜面を昇っていくので中々に楽しめます。私鉄路線のカラーブリア鉄道では、コゼンツァからの路線が繋がっているおり、またカラーブリア鉄道の駅はFS駅とは違い町の中心にあるので観光にも便利でしょう。

メトロを利用する場合は、その目的地に応じて異なる駅で降りましょう。代表的な駅を挙げると、カタンツァーロ・チッタ駅(Stazione di Catanzaro Città)はカタンツァーロ旅団軍事博物館など、カタンツァーロ・マッテオッティ広場駅(Stazione di Catanzaro Piazza Matteotti)は活気ある市の中心地カタンツァーロ・プラティカ駅(Stazione di Catanzaro Pratica)は旧市街の歴史地区の最寄りカタンツァーロ・リド駅(Stazione di Catanzaro Lido)は沿岸部のリド地区があります。

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カタンツァーロ大聖堂(Cattedrale di Catanzaro)

この町の名所はいくつかありますが、ここでは私が行った場所を紹介します。まずは、旧市街の歴史地区から。カタンツァーロ大聖堂(Cattedrale di Catanzaro)は、元々は12世紀頃に作られた大聖堂ですが、第二次世界大戦時のカタンツァーロ空襲で崩壊、戦後の復興プロジェクトにて合理主義建築家のフランコ・ドメスティコとヴィンチェンツォ・ファゾーロの設計で1956年に再建されました。そのほか、1254年完成のバロック様式の美しい大理石の教会、デッリンマコンラータ・コンチェツィオーネ聖堂(Basilica dell'Immacolata Concezione)や、ルネサンス絵画が美しいサンティッシモ・ロサリオ教会(Chiesa del Santissimo Rosario)などがあります。

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上から見たビザンティス橋(Ponte Bisantis)

また、カタンツァーロの名所として外せないのは、このビザンティス橋(Ponte Bisantis)。渓谷に架かる巨大な橋で、建築家リッカルド・モランディの設計。かつては「世界で最も高い橋」として知られ、当時の最先端の技術が詰め込まれました。現在ではその後作られた数多の橋によってその記録は塗り替えられたものの、それでもその高さは十分なものです。

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マッテオッティ広場にある「石切り工の像(Statua del Cavatore)」。

マッテオッティ広場駅で降りると、そこは整然とした新市街が広がっています。カタンツァーロの町も、場所によって雰囲気が異なるので中々楽しめます。このマッテオッティ広場にある「石切り工の像(Statua del Cavatore)」は戦後のカタンツァーロ復興の象徴とされる像で、力強い印象を与えます。町のシンボルスポットとなっています。

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カタンツァーロ旅団軍事史博物館(Museo storico militare Brigata Catanzaro)

最後の紹介するのは、カタンツァーロ旅団軍事史博物館(Museo storico militare Brigata Catanzaro)です。南イタリアでも特に大きな軍事博物館で、展示も充実。ナポレオン戦争期から第二次世界大戦までの様々な軍装品や展示があります。入館料は大人€3、学生2€。カタンツァーロ西部のマイダの平原で、1806年7月4日に行われたフランス帝国軍と英国軍の戦い、「マイダの戦い」の再現ミニチュアは必見。そのほか、第二次世界大戦時の東部戦線のイタリア軍野戦病院の実物大再現(写真)など。

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リド地区の海岸。

一方、沿岸地区のリド地区(Catanzaro Lido)の海岸は、非常に透明度の高く美しい海が広がっており、ホテルも立ち並び海水浴にはぴったりです。他のビーチとは異なり、シーズンでもそんなに混みあわないので快適な感じ。海の近くでは美味しい海鮮料理も楽しめ、ホテルも設備の充実さの割に安価なのでオススメ。私が泊った"Hotel Palace(四つ星)"も、オーシャンビューで設備が良く、部屋も広くて価格もリーズナブルでした。素晴らしいホテルなので二度目の旅行時も利用しています。未踏破ですが、近郊には古代の遺跡公園のスコラチウム考古学公園(Parco archeologico nazionale di Scolacium)があるそうなので、機会があれば行ってみたいです。

 

◆レッジョ・カラーブリア

(Reggio Calabria)

シチリアを眼前に臨む州最大の都市

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紀元前5世紀のギリシャ像「リアーチェ像(Bronzi di Riace)」。マーニャ・グレーチャ国立博物館(Museo Nazionale della Magna Grecia)に展示されている。

カラーブリア州最大の人口を持つ都市で、眼前にはシチリア島を臨む街古代ギリシャ時代の植民都市「レギオン」を前進とし、その名前からレッジョという現在の名前になりました。レッジョ・ディ・カラーブリアとも。住んでいる人たちはレッジョと呼んでいます(イタリアではレッジョというと、もう一つエミリア・ロマーニャ州にレッジョ・エミリアがあります)。

カラーブリア州最大の都市なだけあり、非常に大きい大都会。その玄関口となるのが、レッジョ・ディ・カラーブリア中央駅(Stazione di Reggio di Calabria Centrale)。アクセスも容易で、フレッチャやICといった高速鉄道で主要都市からバビュッと訪れる事が可能です。国立博物館が目当てだったり、海岸方面のホテルを予約した場合はレッジョ・ディ・カラーブリア・リド駅(Stazione di Reggio di Calabria Lido)を利用しよう。当然、中央駅からはリド駅までは十分歩ける距離なので、わざわざ乗り換えるのが面倒だったり、散歩を楽しみたい場合は歩いたほうが無難です。

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レッジョ・カラーブリアの海岸。海の向こうはシチリア島

州最大の都市だけあって、通りも整っており、大通りではショッピングが楽しめます。海岸方面の遊歩道は美しいメッシーナ海峡の風景が眼前に広がっており、ついつい散歩が進むスポットです。海も綺麗なので、海岸方面に降りてみるのも良いでしょう。1908年のメッシーナ地震の影響で多くの建物が破壊され、その後のファシスト政権期に大規模な立て直しと都市開発が行われたため、ファシスト政権期の建物が多く残っています。例えば、海岸の遊歩道にある「海峡劇場(Arena dello Stretto)」。これは、1932年に作られた劇場で、レッジョでのイベントでよく使用される劇場で、レッジョのファシズム建築の代表例とされています。近くにはファシスト政権期の記念碑も多く残っています。

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もう一対のリアーチェ像。片目を失っている。

この町の一番の見どころと言えば、マーニャ・グレーチャ国立博物館(Museo nazionale della Magna Grecia)に展示されている二体のブロンズ像。これは、「リアーチェ像(Bronzi di Riace)」と呼ばれる古代ギリシャ時代の像で、1972年に海底から引き揚げられました。紀元前五世紀に作られたものですが、非常に保存状態も良く、世界でも最高のギリシャ彫刻と称されています。この博物館の見どころはそれだけでなく、カラーブリア州で出土した数々の考古学遺産を展示しています。5階層もある巨大な博物館で、石器時代から古代ギリシャ古代ローマの展示物を展示した古代のロマンあふれる博物館です。ナポリの考古学博物館より確実に大きなボリュームです!展示の説明は多くの地図や写真が使われてわかりやすく、タッチパネルのディスプレイもあり、非常に便利です。

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ドゥオーモ(Duomo di Reggio Calabria)

その他の見どころでは、白亜のドゥオーモ(Duomo di Reggio Calabria)は非常に美しい。元々は11世紀頃に作られた大聖堂ですが、犠牲者10万人を出したメッシーナ地震(1908年)でレッジョは壊滅的な被害を受け、ドゥオーモも崩壊。その後、ネオロマネスク様式の大聖堂として再建されました。町の中にはアラゴン王国時代の城(Castello Aragonese)もあり、レッジョのシンボルになっています。その近くには10世紀に作られたビザンチン・ノルマン様式の小さな教会、オッティマーティ教会(Chiesa degli Ottimati)もありました。

 

◆トロペーア(Tropea)

「欧州で最も美しいビーチ」と謳われる観光地

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「ヨーロッパで最も美しいビーチ」と称されるトロペーアのビーチ。

「ヨーロッパで最も美しいビーチの一つ」と称されるビーチを持つ、ヴィボ・ヴァレンティア県の美しい海岸の町。 俳優ラフ・ヴァローネの出身地としても知られています。もともと、ベルモンテで乗ったタクシーの運ちゃんに教えて貰ってこの町を知りました。彼曰く、「カラーブリアで一番のスポット」だそうなので、気になって行ってみました。鉄道駅はトロペーア駅(Stazione di Tropea)。駅自体は簡素で、駅周辺にも特に何も無いので特に夜は寂しいです。とても一大観光地とは思えない感じでした。トロペーアからナポリまでは直通のICN(夜行列車)も走っているので、便利。ただ、逆の直通は無いのでどこかの駅で乗り換える必要があります。

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ヴィボ・ヴァレンティア県名物のパスタ「フィレーヤ(Fileja)」

夏季になると多くの海水浴客が訪れる事で知られていますが、冬場は閑散としています。逆に美しい海をのんびり楽しむなら冬が狙い目で、オーシャンビューのホテルも安く止まる事が出来ます。ただ、冬場は歴史地区でやっている店が少ないのが難点です。お土産店はまず開いていないし、レストランやバールもポツポツ開いている程度。基本的には閉まっています。なので、私が利用した"Hotel Valemare(三ツ星)"のような「朝食・夕食つき」のホテルを探すと良いかもしれません(冬場故に客は私ひとりでしたが、とても親切に対応してくれました)。美しい海の街では、グルメも楽しめます。海鮮料理が美味しい!トロペーアを含むヴィボ・ヴァレンティア県では、フィレーヤ(Fileja)という名物手ごねパスタもあるので、こちらもおススメ。ソースの味付けもカラーブリアらしく辛めです。

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夕焼けのトロペーア海岸

トロペーアのビーチの後ろ側には断崖絶壁の歴史地区がそびえたっています。逆に歴史地区側のテラスから見ると、ビーチが一望できるので面白いです。ビーチにある岬の上に建っているのが、サンタ・マリア・デッリゾラの聖域(Santuario di Santa Maria dell'Isola)と呼ばれる教会。この島の岬は7世紀頃から隠居僧が使い始め、それが発展してキリスト教の聖域となりました。上部の教会は11世紀のものだとか。この岬は下の方には自然のトンネルになっていて、RPGで見たことあるような風景が見えます。

 

◆ピッツォ(Pizzo)

美しい海と名物ジェラート"タルトゥーフォ"の町

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ピッツォ名物「ジェラート・タルトゥーフォ(Gelato Tartufo)」

ヴィボ・ヴァレンティア県の美しい海岸の町ピッツォ駅(Stazione di Pizzo)はトロペーア駅からも遠くない距離にあり、鉄道で30分足らずで着きます。駅から町までは少し距離があるため、タクシーを使うと楽。ただ、歩いても十分行ける距離で、美しいビーチを見ながら歩けるので歩いて行くのも良いでしょう。町自体はトロペーアとは異なり、冬でも活気があって驚きました。

夏季になるとトロペーア同様に海水浴客でごった返すピッツォ。しかし、この町の名物は海だけじゃない!この町といえば、名物ジェラートの「ジェラート・タルトゥーフォ」発祥の地として知られています。ジェラート・タルトゥーフォは、丸い円形のジェラートで、カカオパウダーが表面に塗してあり、濃厚なジェラートの中にはとろ~りとチョコソースが入っている手の込んだもの。普通のジェラートとは違い、もはやこれ自体が芸術です。町の中心のレプッブリカ広場(Piazza della Repubblica)には多くのジェラテリアがあり、様々な味のジェラート・タルトゥーフォが食べられます。

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ミュラ城(Castello Murat)のバルコニーから見たピッツォの海岸の眺め。

また、この町はナポレオンの義弟であり、ナポレオン戦争時に活躍したフランスの将軍ジョアシャン・ミュラが死んだ地でもあります。彼は一時期制圧下に置いたナポリ王国の王ジョアッキーノ1世と名乗りましたが、失脚した後に捕らえられ、このピッツォで処刑されました。その彼が処刑されたのが、ミュラ城(Castello Murat)。元々はアラゴン家によって作られた要塞で、トロペーア海岸の沿岸防衛のための拠点でした。ここからの海の眺めは非常に良いのでオススメ。レプッブリカ広場からすぐの場所にあります。そして、彼の墓所があるのがレプッブリカ広場の突き当りにあるマトリーチェ・ディ・サン・ジョルジョ教会(Chiesa Matrice di San Giorgio)。この教会は派手な色彩と装飾の外見をしているので、すぐにわかるでしょう。

 

◆コゼンツァ(Cosenza)

中世の趣きを残す州の文化の中心地

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コゼンツァのドゥオーモ(Duomo di Cosenza)内の礼拝堂。

カラーブリア州の歴史的な文化の中心地であり、大学の町でもある内陸の町。ナポリの影響を受けたカラーブリア州北部の中心都市で、レッジョやカタンツァーロなどのカラーブリア州南部とは異なる文化を持っています。例えば、この町では「カラーブリア州の象徴」と現在ではよく考えられる、辛いペースト肉「ンドゥーヤ('Nduja)」もここでは食べられていないようです。
コゼンツァは歴史的に様々なことが起こった町。帝都ローマを略奪して西ローマ帝国滅亡を決定づけた西ゴートの王アラリックはこの地で死に、皇帝フェデリーコ2世のもとでは他の南イタリアの諸都市と同様に「お気に入り」として発展を遂げ、アラゴン王制時代にはカラーブリアの中心都市となって、学問と文化の中心になりました。イタリア統一運動(リソルジメント)では、同志らと上陸したバンディエーラ兄弟が裏切りによって捕らえられ、射殺された場所でもありました。ファシスト政権期には後述するミケーレ・ビアンキ書記長によって都市開発が進められています。

コゼンツァへのアクセスは、FS線と私鉄カラーブリア鉄道の両方で来ることが出来ます。FS線の新駅(Stazione di Cosenza)は町から2km程離れており、幹線道路を渡らなければいけないため、結構大変。FS線で訪れた場合は、駅からバスやタクシーで街に訪れるほうが良いでしょう。駅自体は大きいですが、中はがらんとして寂しい感じです。一方、私鉄カラーブリア鉄道は州都カタンツァーロの路線があり、鉄道駅(Stazione di Cosenza Centro)は市街地の中にあるので観光には便利。交通の要衝であるため、バーリからの長距離バスも出ています。なお、コゼンツァのホテルは質が良い割に安め。バスタブもある"Italiana Hotels Cosenza"や歴史地区に近い"Royal Hotel Cosenza"がオススメです(両方四つ星)。

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高台から見えるコゼンツァ歴史地区。中心に見えるのがドゥオーモ。

そんなコゼンツァの歴史地区は中世の趣きを残す美しい町。カラーブリアの県都の中で最も美しい町と称されています。コゼンツァの新市街も活気があって楽しいので、お店を覗いてショッピングしてみても楽しいでしょう。クラーティ川を越えれば、そこはもう歴史地区。目印は何故かコゼンツァで数店舗展開してるSuper Mario pizza(スーペルマリオピッツァ、要するにスーパーマリオのピッツァ屋)。

歴史地区の見どころは、まずドゥオーモ(Duomo di Cosenza)。11世紀に造られたロマネスク・ゴシック様式の教会で、歴史地区の中心部にあります。内部には美しい礼拝堂とプレゼピオがあります。坂道を登っていくと、3月15日広場(Piazza XV marzo)に出ます。この広場にはピアニストのアルフォンソ・レンダーノを記念して造られた劇場「アルフォンソ・レンダーノ劇場(Teatro di tradizione Alfonso Rendano)」や、17世紀に修道院跡の上に造られたコゼンツァ政庁(Palazzo del Governo)があります。その先には美しい緑豊かな庭園、ヴィッラ・ヴェッキア(Villa Vecchia)がありました。また、町中には漫画博物館(Museo del Fumetto)という興味深い博物館もあり、日本の漫画についての展示もあったりします。

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ノルマンノ・スヴェヴォ城(Castello normanno-svevo)

更に、歴史地区の丘の頂上に登ると、ノルマンノ・スヴェヴォ城(Castello normanno-svevo)が聳えています。コゼンツァ旧市街を見下ろす丘の上にあり、丘からの景色は中々に美しく、町を一望できます。10世紀頃に東ローマ帝国が築いたのが始まりとされており、その後、シチリア王ルッジェーロ2世がアラブ人を放逐した後にここを拠点とし、更に皇帝フェデリーコ2世が増強建築を施したため、カステル・デル・モンテで見られたような彼らしい「八角形の塔」が残っています。

 

◆ベルモンテ・カーラブロ

(Belmonte Calabro)

山頂に築かれた小さなかわいい町

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ミケーレ・ビアンキ廟・記念碑(Monumento a Michele Bianchi)。国家ファシスト党初代書記長で、党終身最高幹部「クァドルンヴィリ」の一人だったミケーレ・ビアンキの廟。

コゼンツァ県に位置する小さな山の上の町、ベルモンテ・カーラブロ(以下ベルモンテと表記)。後述するアマンテーア駅(Stazione di Amantea)から、タクシーで行くことが出来ます(片道€20)。バスもあるようですが、本数が限られているのでタクシーの方が便利でしょう。タクシーの番号はアマンテーア駅前にあります。ベルモンテの沿岸部にはベルモンテ・カーラブロ駅(Stazione di Belmonte Calabro)がありますが、廃駅にはなっていないものの、止まる路線は現在存在していないようでした。一応、駅併設のバールは営業していて、結構活気がありました(鉄道は止まらんけど)。不思議なのが、鉄道は止まらないのに駅としては登録されているし、駅の設備も動いているという点です。臨時の時に使われるのか、それとも私が行った時期(2017年12月)が偶然動いていなかったのかはわかりません。

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ベルモンテの歴史地区の路地。かわいらしく、歩いていて楽しい。

ベルモンテ・カーラブロは山の上にある歴史地区と、沿岸部にある新市街で構成されています。新市街は特に何もない普通の住宅街なので、歴史地区を観光しましょう。新市街から歴史地区に行くには山道を登る必要があるため、タクシーで歴史地区に先に向かい、そこから下山するかたちで行くのが楽です。山道や町の中には野犬が出没することがあるので、油断は禁物。特に冬場は全く人がいないので、もし追われた場合は助けを呼ぶことも出来ず、逃げるしかありません。歴史地区との間の中間地点には、ミケーレ・ビアンキ廟(Monumento a Michele Bianchi)があり、町のシンボルとなっています。これは、ファシスト政権期に初代党書記長を務め、ムッソリーニを陰から支えた政治参謀ミケーレ・ビアンキ墓所で、彼が1930年に病死した後、彼の出身地であるベルモンテに作られました。ネオ・ファシストの集会が開かれたりする場所ですが、町の人たちにとってはわかりやすいシンボルのようです。

このビアンキ廟から更に上に登っていけば、歴史地区に到着します。かわいい路地が多いフォトジェニックな小さな丘の上の町で、先述したビアンキ書記長の生家(Casa Natale di Michele Bianchi)もここにあります。とはいえ、GoogleMapで調べても出てこないので、町の入り口にある地図を憶えていくしかありません(こちらには書いてあります)。特にこれといった特徴もなく、家の横に目立たない記念碑が残っているくらいしか目印がないため見つけづらいです。

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街中にある廃教会、プルガトリオ教会(Chiesa del Purgatorio)。

歴史地区自体、歩いていて楽しい町。歴史地区内で面白い名所と言うと、廃墟化した教会のプルガトリオ教会(Chiesa del Purgatorio)が興味深いでしょう。外見は普通ですが、中を見てみると、屋根は崩れ落ち、内部は酷い有様。1270年に造られ、かつてはこの町の教区を管轄する教会だったそうですが、現在はその面影もありません。町の外れや郊外ではこの手の廃墟教会も珍しくはないですが、街中にある廃墟教会というのは珍しいように感じました。一見の価値あり、です。その他、1586年に建築が開始されたバロック様式の教会のサンタ・マリア・アッスンタ教会(Collegiata di Santa Maria Assunta)は外見は地味ですが、内装は非常に美しいです。また、町の中にはナポレオン戦争時に破壊されたベルモンテ城(Castello di Belmonte)の遺構が残っています。

 

 

◆クロトーネ(Crotone)

古代ギリシャの数学者ピタゴラスの町

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カルロ5世城(Castello di Carlo V)。9世紀頃に作られた城だが、神聖ローマ皇帝カール5世(カルロ5世)によって改修工事がなされた。

古代ギリシャの数学者、ピタゴラス(イタリア語ではピタゴラ)が拠点とした町として知られており、「ピタゴラスの町(la città di Pitagora)」という愛称で知られています古代ギリシャ時代の植民都市クロトーンを起源とし、ライヴァル相手のシュバリス(現シーバリ)を嫉みから滅ぼすなど、強い力を誇りました。全盛期はマーニャ・グレーチャ(ギリシャ植民市)全域を支配するほどの力を持っていたとか。そのギリシャ時代の名残は、現在のクロトーネ市街から11kmの位置にあるカーポ・コロンナ考古学地区(Area archeologica di Capo Colonna)に残っており、ヘラ・ラチニア神殿(Tempio di Hera Lacinia)ドーリア式の円柱が名物となっています。

この町はカラーブリア州でも6位の人口を持ち、現在は地域の需要な工業都市でもあります。鉄道でのアクセスも容易ですが、クロトーネ駅(Stazione di Crotone)はやや町の中心地から離れており、割と歩きます。駅前ではタクシーが客引きしているので、タクシーを利用すると良いかもしれません(私は歩きましたが)。なお、鉄道駅は規模は大きいものの、貨客路線よりも貨物路線が多いようで、本数はそんなに多くはありません。

私はクリスマスイヴとクリスマスをこの町で過ごしましたが、イタリアではクリスマス当日は家族と過ごすのが一般的であるため、殆どの店はやっていませんでした。とはいえ、クリスマスの朝は多くの人が町に出て立ち話をしており、イヴの夜は町は装飾で飾り付けられ、店も結構開いていて活気に満ちていました。海岸に面するレストランでは美味しい海鮮料理が楽しめる他、カラーブリアらしく味付けも辛めなのが面白いです

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歴史地区にあるサンタ・キアラ教会(Chiesa di Santa Chiara)。

歴史地区(Centro Storico)の名所はいくつかあります。古代ギリシャの都市らしく、クロトーネ国立考古学博物館(Museo archeologico nazionale di Crotone)は展示物も充実。その近くにはカルロ5世城(Castello di Carlo V)があり、こちらの内部にも市立の博物館があります。考古学博物館よりは小規模ですが、古代ギリシャ時代の発掘品や近代の絵画など様々なものが展示してあります。カルロ5世城自体は840年にサラセン人から街を防衛するために造られた城塞で、それを1541年に神聖ローマ皇帝カール5世(カルロ5世)が改修を施したもの。旧市街とは一本の橋でつながっています。城からは町が一望出来、また古城内部は中世の頃に建造された部分と、その後に造られた部分が混ざっているので結構面白く、探索が楽しめます。

小高い丘の上に作られたクロトーネ歴史地区の市街は小さくこぢんまりとした感じで、歩いていて楽しいです。サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂(Cattedrale di Santa Maria Assunta)サンタ・キアラ教会(Chiesa di Santa Chiara)など、いくつかの教会も見どころの一つです。あとは、何と言っても美しい海とビーチでしょう。冬場でも日差しが強いクロトーネでは、海辺でジェラートを食べるとみるみるうちに溶けていくほどに暑いです(とはいえ、海に入るのはやめておきましょう)。

 

◆スティーロ(Stilo)

奥地の古教会が名所の「イタリアの最も美しい村」

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10世紀の古教会「カットーリカ(Cattolica di Stilo)」。スティーロの町の奥にひっそりと佇むビザンチン様式の教会建築。ユネスコ世界遺産候補。

歴史的な美しい景観で知られる、山の上にある小さな町で、 「イタリアの最も美しい村(I borghi più belli d'Italia)」にも所属しています自治体的にはレッジョ・カラーブリア県に属していますが、カタンツァーロの方が近いです。鉄道駅は無いので、カタンツァーロ・リド駅から鉄道で30分行ったモナステラーチェ駅で下車し、そこからタクシーで向かうルートが一番近いと言えるでしょう。モナステラーチェ駅とスティーロはタクシーで往復€40。ずっと荷物を乗せっぱで観光を手ぶらで楽しめると考えると、効率も良いのでオススメです(スティーロは荷物があると結構しんどい)。

この町の名所は、何と言っても、奥地に佇む10世紀のビザンチン様式教会「カットーリカ(Cattolica di Stilo)」です。スティーロ旧市街を見下ろす丘の上にあります。ユネスコ世界遺産の候補にもなっており、保存状態も良い教会。内部にはフレスコ画も残っています。スティーロに行ったらぜひとも行っておきたい場所です。アラブ人支配期はイスラームのモスクとして使われた痕跡も残っているとか。

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高台から見下ろしたスティーロの歴史地区。

ティーロの町自体も景観が良い、小さな町です。ティーロのドゥオーモ(Duomo di Stilo)は私が訪れた2018年2月は何故かドゥオーモでありながら開放されていませんでした。サン・ジョヴァンニ・テレスティス修道院(Abbazia di San Giovanni Therestis)15世紀に作られたバロック様式修道院で、カラーブリアで最も美しい後期バロック様式の教会の一つと言われています。

ルネサンス期を代表するスティーロ出身の哲学者、トンマーゾ・カンパネッラの像の前には、16世紀に造られた後期バロック様式サン・フランチェスコ教会(Chiesa di San Francesco)があり、内部のプレゼピオが美しいです。また、山頂には11世紀に作られたノルマンノ城(Castello normanno di Stilo)がありますが、未舗装の山道を歩かないと辿り着けないため、中々に険しい道のりです。

 

◆アマンテーア(Amantea)

ナポレオン戦争の激戦区

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アマンテーア城(Castello di Amantea)。9世紀に作られて以来、支配者が変わっても重要な役割を果たして続けた城だが、ナポレオン戦争時にフランス軍の包囲を受け、廃墟化した。

コゼンツァ県に位置する美しい海岸の町アマンテーア駅(Stazione di Amantea)は鉄道でコゼンツァやパオラからアクセス出来、ナポリ中央駅からICで直通で行くこともできます。 ただ、私が訪れた2017年12月はアマンテーア駅の古い券売機は動いておらず、駅併設のバールでコゼンツァまでの鉄道券を買いました。バールがやっていない可能性も考慮して、事前に往復券を買っておく方が良いかもしれません。

駅前にはタクシーが待機しており、出払っていても看板に番号が書いてあるのでそれで呼ぶことが出来ます。呼べばすぐに来てくれます。先述したベルモンテ・カーラブロには鉄道が止まらないので、ここからタクシーで行くのがオススメです。

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日没後のアマンテーア海岸。

この町は夏季になると海水浴場として多くの観光客でにぎわう町。町の後ろに広がる山々には廃墟が見えますが、これは1806年のフランス軍による包囲によって破壊されたアマンテーア城(Castello di Amantea)です。アマンテーア城は9世紀頃に作られた後、支配者が変わっていっても軍事拠点としてあり続けた城でしたが、ナポレオン戦争時の1806年、ブルボン軍側が籠城するアマンテーア城をフランス帝国軍が包囲。40日間の激しい戦いの末にアマンテーア城は遂に崩壊してしまい、現在では廃墟となっています。

 

◆モナステラーチェ(Monasterace)

大海戦を臨む海岸とギリシャ遺跡

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プンタ・スティーロ沖海戦(Battaglia di Punta Stilo)の慰霊碑。

レッジョ・カラーブリア県に位置する小さな町。レッジョ・カラーブリア県ですが、地理的にはカタンツァーロの方が近く、リド駅から鉄道で約30分近くで着きます。モナステラーチェ駅(Stazione di Monasterace)は、数年前は有人駅で活気がありましたが、私が訪れた時(2018年2月)には無人駅となっており、駅構内は荒廃して入れなくなっていました(一体何があったのか)。そのため、チケットは買えないのであらかじめ往復分を買っておきましょう。モナステラーチェ駅は先述したスティーロの最寄り駅でもあるので、ここからタクシーで向かえば便利です。

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モナステラーチェのカウロン(Kaulon)遺跡。

この町の観光名所で最も有名なものは、沿岸部にある古代遺跡カウロン(Kaulon)の遺跡古代カウロン考古学公園(Parco archeologico dell'antica Kaulon)内にあります。これは古代ギリシャ(マーニャ・グレーチャ)時代の植民市の遺跡で、近くには新しいモナステラーチェ考古学博物館(Museo archeologico di Monasterace)もあり、発掘された品々が展示されています。

また、モナステラーチェの沖では第二次世界大戦時、地中海初の大規模海戦「プンタ・スティーロ沖海戦(Battaglia di Punta Stilo)」が起こった事で知られています。海戦の名前にはモナステラーチェにあるプンタ・スティーロの灯台(Faro di Punta Stilo)の名前から取られました。プンタ・スティーロ沖海戦は、1940年7月9日に発生した大規模な海戦で、戦艦「ジュリオ・チェーザレ」を旗艦とするイタリア主力艦隊(カンピオーニ提督指揮)と戦艦「ウォースパイト」を旗艦とする英国主力艦隊(カンニンガム提督指揮)が戦いました。この海戦の記念碑が、モナステラーチェ駅前の海岸に残っています。

 

◆ロゼート・カーポ・スプーリコ

(Roseto Capo Spulico)

バジリカータ州との境界にある古城の町

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ロゼートの石城(Castello della Pietra di Roseto)。11世紀に作られた石の城。

カラーブリア州の北東端、バジリカータ州との境に近い小さな町鉄道駅(Stazione di Roseto Capo Spulico)がありますが、 鉄道路線は現在通っておらず、ターラント駅やシーバリ駅からの直通代替バスが走っています。そのため、アクセスは割と容易。コゼンツァからバーリに向かうプルマンでも途中に通ります。

この町の名所は、何と言っても海を見下ろす古城。この古城は「ロゼートの石城(Castello della Pietra di Roseto)」といい、11世紀にノルマン人が作ったものを、13世紀に皇帝フェデリーコ2世が改修したものです。

 

◆シーバリ(Sibari)

古代都市シュバリスの栄光を今に伝える地

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シーバリ駅(Stazione di Sibari)。乗換駅としてよく使われる。

古代ギリシャ人の植民都市「シュバリス」を前進とする町。しかし、シュバリスはクロトーン(現クロトーネ)との戦争に敗れて徹底的に破壊されたため、その面影は遺跡の遺構しか残っていません。シーバリは現在の自治体としてはコムーネ(Comune)ではなく、カッサーノ・アッリオーニオ(Cassano all'Ionio) の分離集落(Frazione)に当たり、あくまでカッサーノ・アッリオーニオの一部となっています。

シーバリ駅(Stazione di Sibari)は少し大きな駅で、乗り換え駅として使われます。カラーブリア州で鉄道の旅をするならば、一度は必ずお世話になる駅と言って良いでしょう。しかし、シーバリ駅周辺には特に何もなく、駅前にケバブ屋があるくらいなので、乗り換えミスをした時間を潰すにはちょっと不便です

シーバリ周辺の最大の見どころと言えば、やはりシーバリ考古学公園(Parco archeologico di Sibari)でしょう。ここには、優雅な富を蓄えた都市国家シーバリ(それ故にクロトーネに妬まれて破壊される)の都市遺構を見る事が出来、シバリーティデ国立考古学博物館(Museo archeologico nazionale della Sibaritide)ではその発掘品を見る事が出来ます。しかし、駅からはいずれも数km離れているため、タクシー必須。また、そのほかシーバリ湖群(Laghi di Sibari)や、シーバリ海岸(Marina di Sibari)などの隠れたリゾート地もあり、都会の喧騒から離れたいイタリア人に人気のスポットとなっています。

 

◆ヴィッラ・サン・ジョヴァンニ

(Villa San Giovanni)

イタリア半島の玄関口

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ヴィッラ・サン・ジョヴァンニ港(Porto di Villa San Giovanni)。対岸に位置するシチリアメッシーナとはフェリーで繋がっている。鉄道ごとフェリーに乗せて海を渡るのは世界でも類を見ない船旅だ。

シチリアメッシーナとのフェリーが停泊する港町。州最大の都市レッジョ・カラーブリアから14kmの距離にあり、「イタリアの玄関口」となっている町です。とはいえ、この町に着いたからといって降りる人は乗り換え以外ではそういないでしょう。

シチリアに向かう鉄道は、この駅でフェリーに乗せられてメッシーナ海峡を渡ります。車やバイクなどの場合もそうで、フェリーで20分ほどの短い船旅が楽しめます。

 

もちろん、カラーブリア州の魅力はこれだけではありません。まだまだ行けてない場所も多いので、これからもっと行ってみたいです。

また、今回のような感じで、他の州の町も紹介してみようと思います。よろしくお願いします。