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イタリア戦略爆撃機編隊、ジブラルタルを爆撃せよ! ―第274爆撃飛行隊とピアッジオ P.108B四発爆撃機の戦歴―

「地中海の鍵」と呼ばれたジブラルタル地中海の出入り口であるジブラルタル海峡を抑える要衝として知られ、スペイン継承戦争の結果ジブラルタルは英国の支配下となり、現在も英国の海外領土として機能している。第二次世界大戦時、地中海の制海権・制空権を英国と争うイタリアにとっては、ジブラルタルはマルタと並び非常に重要な場所であった。ジブラルタルを英国が擁している以上、イタリアは地中海に封じ込められ、大西洋に出ることは難しかったからである。そのため、第二次世界大戦時、イタリア空軍・海軍はジブラルタル港への攻撃を頻繁に実行していた

イタリア海軍はユニオ・ヴァレリオ・ボルゲーゼ(Junio Valerio Borghese)司令率いる「デチマ・マス(Xª MAS)」が何度も港湾内に潜入し、多くの艦船を撃沈して英海軍を悩ませていたことはよく知られている。英国の映画『潜航電撃隊(原題:The Silent Enemy)』でそれが英国側にとってどれだけ脅威であったかが描かれている(参照:https://associazione.hatenablog.com/entry/2018/09/04/222314)

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厳重な警戒態勢が敷かれた夜間のジブラルタル。夜空を対空用のサーチライトで隙間なく監視している。

そういった海軍の活躍と同時に、イタリア空軍もジブラルタルへの爆撃を何度も実行していた。イタリア空軍によるジブラルタル攻撃は4段階に分けられる。1段階は、開戦直後の1940年7月から1942年4月まで行われた、サヴォイアマルケッティ SM.82"マルスピアーレ"三発爆撃機編隊による計8回の爆撃である。SM.82機は元々輸送機として開発された機体だが、バーレーン及びサウジアラビアの油田地帯への長距離爆撃作戦での実績もあり、長距離爆撃機としても優れた性能を持っていた。

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ヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍歴史博物館のサヴォイアマルケッティ SM.82"マルスピアーレ(カングーロ)"三発爆撃機。元々は輸送機として開発されたが、ジブラルタル爆撃やバーレーン・サウジ爆撃など長距離爆撃で戦果を挙げている他、空挺部隊の降下任務にも使われている多用途機だ。

2段階目は、第274爆撃飛行隊のピアッジオ P.108B四発爆撃機編隊による大規模爆撃で、1942年6月から1942年10月まで計5回行われた3段階目は第132雷撃航空群のサヴォイアマルケッティ SM.79"スパルヴィエロ"雷撃機編隊によるジブラルタル港湾の艦船への雷撃作戦で、1943年6月頃に実行4段階目は休戦後、RSI(イタリア社会共和国)空軍(ANR)の第一雷撃集団「ファッジョーニ」のSM.79雷撃機編隊によって、1944年6月に二度実行されている(3段階目はカルロ・ファッジョーニ大尉の記事( https://associazione.hatenablog.com/entry/2019/01/22/013447)、4段階目はRSI空軍の記事(https://associazione.hatenablog.com/entry/2018/12/22/014259)にて少し書いてあるので参照)

今回は、この2段階目、ゴーリ・カステッラーニ中佐率いる第274爆撃飛行隊によって行われたジブラルタル爆撃作戦について扱おうと思う。連合軍機に匹敵する優秀な戦略爆撃機と言われる「ピアッジオ P.108B」を装備した爆撃機部隊の活躍を見てみよう。

 

◆ピアッジオ製の新型爆撃機の登場

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飛行するピアッジオ P.108B四発爆撃機

ピアッジオ P.108B四発爆撃機は、連合軍機に匹敵する性能を誇り、「イタリア最高の重爆撃機」と称されるイタリアで唯一実用化された四発エンジンの戦略爆撃機である。開発・生産はトスカーナ州のポンテデーラを本拠地とするピアッジオ社で行われた。ピアッジオ社は戦後に「イタリアの国民的スクーター」と言われる「ヴェスパ(ベスパ)」を開発したことで知られているが、当時は航空機エンジンの開発で知られていた(ヴェスパの開発にP.108開発での技術を流用したというウワサもある)。

P.108Bを設計したのはアメリカ帰りの航空機設計者、ジョヴァンニ・カシラギ(Giovanni Casiraghi)だった。彼はアメリカで得た技術を用いて、当時のイタリアでは考えられていなかった発想で、革新的な機体を生み出した。それがP.108Bで、空軍のコンペで他社の爆撃機を破り、採用に至ったのであった。防御火器にはブレダSAFAT機関銃の12.7mm機銃が6挺、7.7mm機銃が2挺搭載されている。P.108Bはイタリア版B-17と称されるように、丈夫な機体で護衛なしで戦略爆撃が可能な機体として期待された。試作機は1939年11月24日に初飛行を実現している。初飛行は満足いくものであったため、量産化が決まり、爆撃機部隊への配備が決定した。

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第274爆撃飛行隊を率いたブルーノ・ムッソリーニ(Bruno Mussolini)大尉。ムッソリーニ統帥の次男で、レースや爆撃任務で武勲を得て、優秀なパイロットとして知られていた。

P.108Bの配備が決定した部隊が、第274爆撃飛行隊である。第274爆撃飛行隊はムッソリーニ統帥の次男であったブルーノ・ムッソリーニ(Bruno Mussolini)大尉によって率いられた部隊であった。P.108は爆撃機タイプのP.108Bのほか、P.108A(攻撃機タイプ)、P.108C(民間輸送機タイプ)、P.108T(輸送機タイプ)といくつかのタイプが存在したが、イタリアの工業生産力の低さと、配備決定の時期が遅かったが故に、爆撃機タイプのP.108Bの総生産数は僅か24機に過ぎず、そのため、P.108Bは優れた爆撃機であるにもかかわらず、配備されたのは第274爆撃飛行隊のみであった。

P.108Bは優れた機体ではあったが、他のイタリア爆撃機とは大幅に設計が異なる革新的な機体であったため、人員の訓練にも時間が掛かる事となった。1941年8月7日には、第274爆撃飛行隊の隊長であるブルーノ・ムッソリーニ大尉と同乗していた2人の士官が、P.108Bのテスト飛行時の事故により死亡してしまうという痛ましい事故も発生している。ブルーノはムッソリーニ統帥の次男であっただけでなく、優れたパイロットとしてレース飛行や爆撃任務で名を挙げていたために、この事故は非常に衝撃的なものであった(サボタージュによる事故という説もある)。なお、この事故はムッソリーニ統帥に与えた心理的なダメージも非常に大きかったと言われる。

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ゴーリ・カステッラーニ中佐(Gori Castellani)。「米本土空襲計画」の発案者として知られるアッティーリオ・ビゼオ准将や、ムッソリーニ統帥の次男であるブルーノ・ムッソリーニ大尉らと共に、優れたレース機パイロットとして知られた。大西洋横断飛行で金勲章を叙勲されている。スペイン内戦ではゲルニカ爆撃にも参加。第二次世界大戦開戦後はマルタやバルカンでの爆撃任務に参加し、中佐に昇進した。

ブルーノの死後、ブルーノの戦友であり、共に優秀なレース機パイロットとして知られたゴーリ・カステッラーニ(Gori Castellani)中佐が第274爆撃飛行隊の指揮を引き継いだ。ブルーノの事故を含め、何度か事故があったこともあり、P.108Bの訓練は想定以上に長引くこととなった。このため、初飛行は1939年であるものの、初任務は1942年にまでずれ込むこととなる。こうした訓練の後、1942年6月9日に2機のP.108Bが初任務を終えた。これは地中海西部、バレアレス諸島周辺海域での哨戒任務で、英海軍の駆逐艦を発見して爆撃している。

 

◆第274爆撃飛行隊、ジブラルタルを爆撃せよ!

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ジブラルタルへの夜間爆撃の準備を進めるP.108B編隊。

こうした経験を積んだカステッラーニ中佐率いる第274爆撃飛行隊は、すぐにジブラルタルへの爆撃作戦の準備を始めた。こうして、P.108Bによる最初のジブラルタル爆撃は1942年6月28日の深夜から29日の早朝にかけて行われたが、これは初任務から僅か数週間しか経過していなかった。5機のP.108Bで構成されたジブラルタル爆撃部隊が、サルデーニャ島のデチモマンヌ空軍基地に集結した。爆撃部隊の隊長は第274爆撃飛行隊の隊長であるカステッラーニ中佐で、彼が爆撃部隊の総指揮を執った。

デチモマンヌ基地から攻撃目標のジブラルタルまでは往復約2720km。彼らにとってP.108Bによる初の長距離飛行任務でもあった。1942年6月28日の夜21時、5機のP.108Bはデチモマンヌ基地を離陸、ジブラルタルに向けて夜のフライトを開始したのであった。しかし、道中でセンプリーニ機のP.108Bがエンジントラブルを起こし、途中で帰還することとなった。そのため、ジブラルタル攻撃部隊は4機となった。

約4時間後の29日早朝1時、カステッラーニ率いる4機のP.108B編隊はジブラルタル上空に到達した。ジブラルタルは空襲に備えて厳重な警戒態勢が敷かれていた。しかし、カステッラーニは霧が濃かったためにすぐに爆撃は行わず、地上の英軍対空部隊がP.108B編隊を発見した後にジブラルタルへの空爆を開始した。4機のP.108Bは約8000kgの爆弾をジブラルタルへ投下することに成功し、英軍の軍事設備への被害と死傷者を齎し、英国への打撃を与える事に成功したのであった。

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イタリア空軍によるジブラルタル爆撃を讃える当時のイタリアの新聞。

無事に爆撃を終えたP.108B編隊はデチモマンヌ基地への復路飛行を開始した。カステッラーニの乗る隊長機は無事にデチモマンヌ基地に帰還したが、残り3機は燃料不足で不時着することとなった。2機はスペイン領内に不時着して失われ、もう1機はマヨルカ島に不時着したものの、現地当局の協力によって燃料を再補給した後、デチモマンヌ基地に帰還した。このため、ジブラルタル爆撃に出発したP.108B編隊5機のうち、爆撃を無事に成功させて帰還したのは1機のみで、1機は爆撃前にエンジントラブルで帰還、1機は不時着したものの再補給後帰還、2機が不時着で失われる結果となった。

しかし、英国側の反撃で撃墜されたものはなく、イタリア空軍側は「ほぼ無傷」でジブラルタルという要衝の爆撃を完了することが出来たのであった。この事実はイタリア空軍に好意的に受け止められ、カステッラーニ中佐の優れた指揮も高く評価されることとなった。そのため、P.108B編隊によるジブラルタル攻撃は継続された。

その後、同年7月3日、9月24日、10月20日、10月21日と最初の任務を含め計5回のジブラルタル爆撃任務が実行されている。しかし、警戒を強めた英軍側の反撃によって損害も多くなってしまい、初回のようには思ったように戦果を挙げられていない。とはいえ、遠くの英軍基地を直接叩くというのは、プロパガンダ的にも大きく宣伝された。一連の爆撃の指揮により、カステッラーニ中佐は銀勲章を叙勲されている

 

◆その後の第274爆撃飛行隊とP.108

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カラー写真のP.108B四発爆撃機

1942年11月に連合軍がヴィシー政権支配下のフランス領北アフリカへの上陸作戦(トーチ作戦)を開始すると、カステッラーニ中佐率いる第274爆撃飛行隊はジブラルタルへの攻撃任務を取りやめてこれに対する対応に従事せざるを得なくなった。P.108Bは枢軸側の重爆撃機の中でも特に航続距離が長かったため、重宝されることとなったのである。

P.108B編隊はアルジェやオランといった仏領アルジェリアの拠点への夜間爆撃を実行した。これは連合軍側に打撃を与え、地上展開していた連合軍航空機も多数撃破されている。しかし、英空軍のボーファイター夜間戦闘機によって2機が撃墜されている。とはいえやられっ放しではなく、P.108B編隊の中には搭載された機銃で敵機に反撃し、ボーファイターを撃墜して一矢を報いた機体もあった。

カステッラーニ中佐率いるP.108B編隊はその後も北アフリカでの爆撃・偵察任務に従事したが、戦況の悪化と整備のために1943年1月20日の任務を最後に、本土に戻った。連合軍のシチリア上陸時、第274爆撃飛行隊は8機のP.108Bで構成されていた。こうして、P.108B編隊は最後の作戦に従事することとなり、シチリアに展開した連合軍拠点を叩くことが彼らの主任務となった。P.108B編隊は度々夜間爆撃を実行したが、2機が英空軍の夜間戦闘機であるボーファイター及びモスキートに撃墜されている。

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ドイツ空軍仕様のP.108T四発輸送機。ドイツ仕様にいくつか改造が施されている。東部戦線での兵員輸送で重宝され、撤退戦において活躍した。

結局、シチリアは陥落し、その後の休戦によって残っていたP.108はドイツ軍に接収されたり、接収を防ぐために破壊されたりすることとなった。ドイツ空軍に接収されたP.108T(輸送機タイプ)はその最大負荷量の多さから大型輸送機として使われ、東部戦線への兵員輸送に重宝されている。ドイツ軍の撤退戦で大きな役割を果たしたことは非常に興味深いだろう。

 

P.108Bは優れた性能を持った戦略爆撃機であったが、結局配備された時期が遅く、故に生産数も少なかった。そのため、ジブラルタル爆撃など、各戦線で挙げた戦果は興味深いものの、全体での戦果で考えた場合は限定的なものに過ぎない。同じ役割を担ったアメリカ軍のB-17"フライングフォートレス"の生産数が1万機を超えていることを考えると、全生産数が僅か24機というのは、いくらなんでも少なすぎることがわかるだろう。いくら優れた機体であっても、生産数が少なすぎては話にならない。

P.108Bは発展形として更に重武装にしたP.108MやP.133といった後継機が開発されていたものの、休戦によって中止になった。結局、P.108Bもイタリアの航空行政の失敗に巻き込まれた不運な傑作機であったと言えるだろう。