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イタリアの記念艦を見に行こう! ―イタリア記念艦巡り完全ガイド―

さて、今回は久しぶりにイタリア海軍の話題にする。今回扱うのは、イタリア国内で見れる記念艦についてだイタリア国内には巡洋艦から人間魚雷まで、様々な艦艇が記念艦として保存されている。日本同様に第二次世界大戦の敗戦国なので、英国やアメリカと違い大型艦は少ないが、それでも各地で貴重な記念艦を見る事が可能。今回は、私が実際に行ってきたものを紹介しよう。

★今回紹介する記念艦

魚雷艇「M.A.S.15」艇
展示場所:ローマ(Roma)・軍旗慰霊堂博物館(Museo Sacrario delle Bandiere)

魚雷艇「M.A.S.96」艇
展示場所:ガルドーネ・リヴィエラ(Gardone Riviera)・

ヴィットリアーレ・デッリ・イタリアーニ(Vittoriale Degli Italiani)

魚雷艇「M.A.S.」(WW2期・番号不明)
展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)

◆大型魚雷艇「M.S.473」艇

展示場所:ヴェネツィア(Venezia)・海洋史博物館(Museo Storico Navale)

巡洋艦「プーリア」
展示場所:ガルドーネ・リヴィエラ(Gardone Riviera)・

ヴィットリアーレ・デッリ・イタリアーニ(Vittoriale Degli Italiani)

◆ミサイル巡洋艦「ヴィットーリオ・ヴェネト」
展示場所:ターラント(Taranto)・マーレ・ピッコロ(Mare Piccolo)

◆潜水艦「エンリコ・トーティ(S506)」

展示場所:ミラノ(Milano)・レオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館(Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia "Leonardo da Vinci")

◆潜水艦「ナザリオ・サウロ(S518)」
展示場所:ジェノヴァ(Genova)・ガラータ海の博物館(Galata Museo del Mare)

練習船「エベ」
展示場所:ミラノ(Milano)・レオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館(Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia "Leonardo da Vinci")

◆爆装艇「M.T.M.」(バルキーノ)
展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)
ミラノ(Milano)・レオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館(Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia "Leonardo da Vinci")他

◆人間魚雷「ミニャッタ」
展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)

◆人間魚雷「マイアーレ」
展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)
ローマ(Roma)・軍旗慰霊堂博物館(Museo Sacrario delle Bandiere)他

 

□船体の一部・武装等□
◆空母「アクィラ」副砲(対空砲)
展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)

◆戦艦「ヴィットーリオ・ヴェネト」

スクリュー・砲弾・錨

展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)

◆戦艦「アンドレア・ドーリア」副砲(対空砲)
展示場所:ミラノ(Milano)・レオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館(Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia "Leonardo da Vinci")

通報艦「エリトレア」鐘
展示場所:ヴェネツィア(Venezia)・海洋史博物館(Museo Storico Navale)

工作船「オルテッラ」船尾のネームプレート
展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)

◆実験船「エレットラ」機関部分

展示場所:ヴェネツィア(Venezia)・海洋史博物館(Museo Storico Navale)

◆潜水艦「シィレー」艦橋付近
展示場所:ローマ(Roma)・軍旗慰霊堂博物館(Museo Sacrario delle Bandiere)

 

 

魚雷艇「M.A.S.15」艇

展示場所:ローマ(Roma)・

軍旗慰霊堂博物館(Museo Sacrario delle Bandiere)

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魚雷艇「M.A.S.15」艇

こちらは、第一次世界大戦時に使われた魚雷艇(MAS艇)、「M.A.S.15」艇ルイージ・リッツォ大尉が駆り、1918年6月10日に「プレムダ沖海戦(Impresa di Premuda)」オーストリア=ハンガリー海軍の主力戦艦「スツェント・イストファン(SMS Szent István)」を撃沈した事で知られる武勲艦だ。

イタリアの首都ローマのシンボルである、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(通称ヴィットリアーノ)にある、軍旗慰霊堂博物館(Museo Sacrario delle Bandiere)内に展示されている。当時の様子を写真や図を使って説明しているので、わかりやすい。

 

魚雷艇「M.A.S.96」艇

展示場所:ガルドーネ・リヴィエラ(Gardone Riviera)・

ヴィットリアーレ・デッリ・イタリアーニ(Vittoriale Degli Italiani)

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魚雷艇「M.A.S.96」艇

第一次世界大戦時に使われた魚雷艇(MAS艇)、「M.A.S.96」艇「ブッカーリの嘲り(Beffa di Buccari)」と呼ばれる、第一次世界大戦時のブッカーリ港攻撃作戦で戦果を挙げた武勲艦。ブッカーリ港は現在のクロアチア領バカルで、フィウーメ(現クロアチア領リエカ)近くのオーストリア=ハンガリー海軍の軍港だった。

この作戦は、敵海軍の中枢にたった3隻の魚雷艇で侵入し、停泊する艦船を攻撃するという実に大胆な作戦であった。コスタンツォ・チャーノ(Costanzo Ciano)艇長率いるこの「M.A.S.96」艇には、先述したリッツォ中尉と「英雄詩人」ガブリエーレ・ダンヌンツィオ(Gabriele D'Annunzio)も同乗し、この大胆な作戦を無事に成功させたのであった。これを受けて、オーストリア海軍は哨戒の甘さを露呈する結果となったのである。

現在は、そのダンヌンツィオの邸宅を使った博物館「ヴィットリアーレ・デッリ・イタリアーニ」に展示されている。ガルダ湖畔のガルドーネ・リヴィエラという町にあり、最寄り駅のデゼンツァーノ駅からはバスで行くことが可能。なお、近郊のサロ(Salò)やガルニャーノ(Gargnano)と共に、イタリア社会共和国(RSI政権)の中心地だった。

 

魚雷艇「M.A.S.」(WW2期・番号不明)

展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・

海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)

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魚雷艇「M.A.S.」(番号不明)

今まで紹介したMAS艇は第一次世界大戦時のものだが、こちらは第二次世界大戦時のもの第二次世界大戦時では第一次世界大戦時に比べて目立った活躍は減ったが、イタリア海軍の「象徴」として活躍した。地中海は勿論、紅海や黒海、果てはフィンランド海軍の支援のために極北のラドガ湖にまで派遣されている。更には、日本や中国といった極東の国々にも輸出され、各々の海軍で重要な役割を果たしている。

紅海ではマッサワ沖の決戦で英軽巡ケープタウン」を撃破し、黒海ではケルチ沖にてソ連重巡モロトフ」を大破させるなど活躍を見せ、ドガ湖でもソ連砲艦「ビラ」を始め輸送船団撃沈で活躍した。こちらの番号不明のMAS艇は、ラ・スペツィアの海軍技術博物館に展示されている。

 

◆大型魚雷艇「M.S.473」艇

展示場所:ヴェネツィア(Venezia)・

海洋史博物館(Museo Storico Navale)

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魚雷艇「M.S.473」艇

第二次世界大戦時に使われた大型魚雷艇「MS艇」。MS艇はMAS艇を拡大発展させたもの。大戦時はアドリア海及びイオニア海を中心に活動したが、1942年8月中旬には中央地中海で英国のマルタ補給船団の妨害任務に駆り出されている。この際、英国の輸送船「グレノーチー」(8982トン)を撃沈する戦果を見せた終戦まで生き残り、戦後のイタリア海軍では平和条約による制約により巡視船として活動、1974年に除籍した。

現在はヴェネツィアの海洋史博物館に保存されている。当博物館の艦船パビリオンに保存されているものでは最も大きい。MAS艇と比べるとその巨大さがよくわかる。

 

巡洋艦「プーリア」

展示場所:ガルドーネ・リヴィエラ(Gardone Riviera)・

ヴィットリアーレ・デッリ・イタリアーニ(Vittoriale Degli Italiani)

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巡洋艦「プーリア」甲板

1901年就役。植民地であるアフリカの海域や遠洋での活動を想定して作られた巡洋艦であるイタリアに現存している記念艦の中では最も大きい艦だ。興味深いのがその保存方法で、湖畔の斜面に埋め込む形で保存されている。また、艦体をそのまま埋め込むのではなく、艦の形をした石造りの建造物と、艦首部分を融合させるかたちで埋め込んでおり、世界でも類を見ない特殊な保存方法と言えるだろう。

なお、保存されているヴィットリアーレ・デッリ・イタリアーニは海から遠く離れた、ガルダ湖に位置する。この場所に移動されたのはファシスト政権期だが、ファシスト政権期だからこそ出来た、大胆な土木工事だったと言えるだろう。

植民地であるエリトリアソマリアを中心に活動していた「プーリア」は、伊土戦争では紅海にてオスマン帝国艦隊と交戦し、ヨルダンのアカバ港への艦砲射撃も実行している。更に、イタリア海軍の圧倒的勝利で知られる、クンフィダ湾海戦(Battaglia di Kunfida)では陽動を行って伊艦隊の勝利に貢献している(オスマン艦7隻撃沈)

第一次世界大戦ではアドリア海で活動し、オーストリア=ハンガリー海軍に対する海上封鎖に参加、度々オーストリア艦隊と戦っている。第一次世界大戦後、ダルマツィア海岸での哨戒を担当したが、1920年クロアチア人の暴動に巻き込まれた(スプリト事件)。この際に艦長も死亡している。1923年に除籍したが、艦首部分がダンヌンツィオに寄付され、現在もガルドーネのヴィットリアーレに残っている。

なお、特殊な保存方法であるが故に、外側から上手く撮影が出来ない。そのため、甲板上で撮影した写真を貼っている艦の内部はちょっとした海軍博物館になっており、第一次世界大戦第二次世界大戦期のイタリア海軍の艦艇模型がいくつか展示されている(なお、何故か1隻だけドイツ海軍の重巡プリンツ・オイゲン」の模型があるが、おそらくは艦名がエウジェニオ・ディ・サヴォイアに由来する事が理由だと思われる。軽巡洋艦「エウジェニオ・ディ・サヴォイア」の模型も展示されている)

 

◆ミサイル巡洋艦

「ヴィットーリオ・ヴェネト」

展示場所:ターラント(Taranto)・

マーレ・ピッコロ(Mare Piccolo)

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ミサイル巡洋艦 「ヴィットーリオ・ヴェネト」

1969年に就役した、イタリア海軍のミサイル巡洋艦。イタリア海軍の公式での分類はミサイル巡洋艦だが、 ヘリコプターを6機~9機格納可能であるため、ヘリコプター巡洋艦として分類されることもある。非常に大型のミサイル巡洋艦

就役後はしばしば遠い海域の任務にも参加し、ベトナム戦争時の「ボートピープル」救助任務にも従事している。1997年のアルバニアでの暴動では鎮圧のために派遣された多国籍軍の旗艦を務めた。2003年に退役後、記念艦として保存される予定であったが、アスベスト漏洩が酷く、ターラント港に係留されて放置されている(2017年の段階)。

私が行った段階では旧市街の入り口から見る事が可能だったのだが、現在は記念艦化は完全に断念され、解体されてしまった。なので、2019年現在、見る事は永遠に不可能となってしまった。哀しい。なお、ターラントは現用空母「ジュゼッペ・ガリバルディ」や「カヴール」を始めとする、イタリア主力艦隊を生で見る事が可能なので、それを見に来るだけでも価値がある

 

◆潜水艦「エンリコ・トーティ(S506)」

展示場所:ミラノ(Milano)・

レオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館(Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia "Leonardo da Vinci")

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潜水艦「エンリコ・トーティ(S506)」

エンリコ・トーティ級潜水艦のネームシップで、1958年就役。

第二次世界大戦後、初めてのイタリア国産潜水艦であり、冷戦下において重要な役割を果たした。なお、日本語wikiでは「エンリコ・トーチ」と書かれているが、それは発音として間違いである(トーチの場合はTotiではなく、Tociになる)。1997年に退役後、現在はミラノの国立科学技術博物館に丸ごと展示されている。

 

 

◆潜水艦「ナザリオ・サウロ(S518)」

展示場所:ジェノヴァ(Genova)・

ガラータ海の博物館(Galata Museo del Mare)

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潜水艦「ナザリオ・サウロ(S518)」

エンリコ・トーティ級の後継として開発されたサウロ級潜水艦のネームシップ

1980年就役。2002年に退役した後、現在はジェノヴァのガラータ海の博物館にて一般公開されている。内部見学も追加料金を払うことで可能。 書類にサインした後、ヘルメットを貸してもらい、艦内を見学が出来る。船員が使っていた品々がそのまま残してあり、やたら生活感のある潜水艦内は必見。あと戦後の潜水艦だが結構狭い。

 

練習船「エベ」

展示場所:ミラノ(Milano)・

レオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館(Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia "Leonardo da Vinci")

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練習船「エベ」

1921年完成の帆船。元々は「サン・ジョルジョ」という名前の輸送船で、ジェノヴァナポリ間の輸送を行っていた。帆船であるが、モーター機関も搭載し、風が無くても航行可能である。1930年代はナポリサルデーニャ島カリャリを結ぶ物資輸送をおこなっていた。しかし、第二次世界大戦にイタリアが参戦した後、海軍に徴収され、掃海艇として改修されている

第二次世界大戦を生き抜いた「サン・ジョルジョ」は、戦後に掃海艇としての武装が解除され、再び貨物船として利用された1952年には再び海軍籍となり、練習帆船に改装されることとなる。こうして、「サン・ジョルジョ」は新たな名前である「エベ」と名付けられた。だが、その後新造された練習船にその役目を譲り、1960年に除籍された。その後、波乱万丈の艦歴を歩んだ「エベ」は解体されずに、現在もミラノの国立技術博物館に展示されている。

 

◆爆装艇「M.T.M.」(バルキーノ)

展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)

ミラノ(Milano)・レオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館(Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia "Leonardo da Vinci")他

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爆装艇「M.T.M.」(ミラノのもの)

第二次世界大戦時にイタリア海軍で使われた自爆ボート。「バルキーノ」は愛称。

敵艦に直接船体をぶつけて攻撃するが、「震洋」とは違い脱出装置が付いているので、「自爆ボート」ではあるが「自殺ボート(特攻兵器)」ではない。この大胆な攻撃方法で、ギリシャクレタ島のスダ湾では英重巡「ヨーク」及びタンカー「ペリクレス」を撃沈し、休戦後にはRSI(イタリア社会共和国)海軍のMTM艇が仏駆逐艦トロンベ」をリグーリア海岸で撃破してRSI海軍の最期の戦果を飾るなど、大金星を挙げた。

戦後にはイスラエル海軍に渡り、エジプト海軍の旗艦「エル・アミール・ファールーク」を撃沈したり、工作部隊を輸送したりと国を越えても活躍した兵器である。現在、ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館や、ラ・スペツィアの海軍技術博物館などで展示されている。

 

◆人間魚雷「ミニャッタ」

展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・

海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)

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人間魚雷「ミニャッタ」

ロセッティ大尉が1918年に開発した世界初の人間魚雷(特殊潜航艇)

人間魚雷と言っても、「回天」のような特攻兵器ではなく、低速で動く水中バイクのようなもの。後のマイアーレも同様である(マイアーレはミニャッタを乗りやすく改造したもの)。1918年にポーラ軍港に潜入、オーストリア=ハンガリーの戦艦「フィリブス・ウニティス」を撃沈した戦果で知られる。

完全に新しいコンセプトの試作兵器であったが、すぐに実戦に投入された。しかも、設計者であるロセッティ大尉自身が乗って作戦を実行しているのが興味深い。さながらロボットアニメのようだ(ロボットアニメ見た事無いけど)。ラ・スペツィアの海軍技術博物館に展示されている。大変珍しいので一見の価値あり。

 

◆人間魚雷「マイアーレ」

展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)

ローマ(Roma)・軍旗慰霊堂博物館(Museo Sacrario delle Bandiere)他

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人間魚雷「マイアーレ」

世界的に有名な人間魚雷(特殊潜航艇)

イタリア海軍の象徴とも言える存在。テゼイ中佐が「ミニャッタ」を改修したもので、第二次世界大戦時に使われた。先ほども説明したが、「回天」のような特攻兵器ではなく、あくまで工作用の水中バイク(特殊潜航艇)

アレクサンドリアジブラルタル、アルジェといった敵泊地にこのマイアーレを駆る特殊工作部隊が潜入し、多くの敵艦船を撃沈して戦果を挙げた特に、アレクサンドリア港攻撃で、英海軍地中海艦体の主力戦艦「クイーン・エリザベス」及び「ヴァリアント」を撃沈した戦果は広く知られている。各地の博物館に数多く展示されており、特にラ・スペツィアの海軍技術博物館では搭乗員の装備も再現されている。

 

□船体の一部・武装等□

◆空母「アクィラ」

展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・

海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)

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空母「アクィラ」の副砲

客船「ローマ」を徹底的に改造し、完成間近の状態で1943年の休戦を迎えて未完に終わった、第二次世界大戦時のイタリア海軍の航空母艦この空母「アクィラ」に搭載された、副砲(対空砲)がこちら(65/64 Mod. 1939) 。1939年式の65mm64口径対空砲で、アンサルド社によって作られた。12門が搭載。こちらは「アクィラ」に搭載されたものだが、他にもカピターニ・ロマーニ級軽巡にも搭載されている。

 

◆戦艦「ヴィットーリオ・ヴェネト」

展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・

海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)

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戦艦「ヴィットーリオ・ヴェネト」のスクリュー

第二次世界大戦時のイタリア海軍の主力戦艦である、リットーリオ級戦艦の2番艦「ヴィットーリオ・ヴェネト」この艦のスクリューと砲弾、更に錨がラ・スペツィアの海軍技術博物館で見る事が出来る。砲弾は屋内展示、スクリューと錨は屋外展示である。 

 

◆戦艦「アンドレア・ドーリア

展示場所:ミラノ(Milano)・

レオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館(Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia "Leonardo da Vinci")

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戦艦「アンドレア・ドーリア」の副砲

第二次世界大戦時のイタリア海軍の主力戦艦である、カイオ・ドゥイリオ級の2番艦「アンドレア・ドーリアこの艦の副砲(対空砲)である、90/50 Mod.1939。1939年式の90mm50口径対空砲で、アンサルド社製。10門が搭載された。なお、リットーリオ級にも同じ対空砲が搭載され、こちらは12門が搭載されている。

 

通報艦「エリトレア」

展示場所:ヴェネツィア(Venezia)・

海洋史博物館(Museo Storico Navale)

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通報艦「エリトレア」の鐘

第二次世界大戦時にエリトリア(イタリア語ではエリトレア)のマッサワを母港とする紅海艦隊で活動し、東アフリカ戦線崩壊後は同盟国の日本に来訪、天津の極東艦隊に合流、アジア・太平洋戦線で戦った通報艦。この鐘がヴェネツィアの海洋史博物館に残っている。日本と直接の繋がりがあった珍しい軍艦の遺品なので、一見の価値あり。

 

工作船「オルテッラ」

展示場所:ラ・スペツィア(La Spezia)・

海軍技術博物館(Museo Tecnico Navale)

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工作船「オルテッラ」の一部

ラ・スペツィアの海軍技術博物館に展示された、工作船「オルテッラ」の一部。「オルテッラ」はジブラルタル港攻撃で、イタリア海軍の人間魚雷(マイアーレ)部隊の母艦となった工作船だ。この一部は、艦尾の名称プレート。この船を拠点に、伊海軍部隊はジブラルタルで数多くの連合軍艦船を撃沈し、多くの戦果を挙げた

 

◆実験船「エレットラ」

展示場所:ヴェネツィア(Venezia)・

海洋史博物館(Museo Storico Navale)

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実験船「エレットラ」の一部

ヴェネツィア海洋史博物館に展示された、実験船「エレットラ」の一部。
実験船「エレットラ(Elettra)」は、「無線の父」グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi)が無線実験に使用した実験船で、1904年に建造された。彼の死後はイタリア通信省が買収したが、1943年の休戦でドイツ海軍が接収、艤装工事を行い武装哨戒艇としてダルマチア海岸の哨戒を行った。1944年に撃沈されたが、戦後に浮揚され、その一部がヴェネツィア海洋史博物館に展示されている。

 

◆潜水艦「シィレー」

展示場所:ローマ(Roma)・

軍旗慰霊堂博物館(Museo Sacrario delle Bandiere)

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潜水艦「シィレー」の一部

アドゥア級潜水艦の一隻。就役は1938年8月10日。
第二次世界大戦時のイタリア潜水艦で最も有名な潜水艦(と思われる)第二次世界大戦時のイタリア海軍最大の貢献者とも言える、ユニオ・ヴァレリオ・ボルゲーゼ(Junio Valerio Borghese)中佐の指揮の元、アレクサンドリア港攻撃(英戦艦二隻の撃沈)やジブラルタル攻撃で人間魚雷「マイアーレ」の母艦として作戦に従事し、作戦を無事成功させた潜水艦。英首相チャーチルもこの攻撃によって我が地中海艦隊は存在しないも同然となった、と後に回顧録で述べているほどの活躍だった。
1942年のハイファ港攻撃時に英海軍に撃沈された。戦後、イスラエル海軍によって残骸が回収され、イタリアに返還、現在はローマに展示されている。

 

その他、未踏破の場所として、ペルージャ(Perugia)のチッタ・デッラ・ドメニカ(Città della Domenica)にある軽巡洋艦「ライモンド・モンテクッコリ」のマストと152mm砲、トリノ(Torino)のヴァレンティーノ公園(Parco del Valentino)にある潜水艦「アンドレア・プロヴァーナ」の艦橋、ガエータ(Gaeta)のガッリナーロ造船所(Cantiere Gallinaro di Gaeta)にある潜水艦「R12」の艦橋も確認されている。

 

 ざっとこんな感じである。まだ行っていない箇所も多いので、今後もどんどん行っていきたいところだ。展示場所について詳しい情報が欲しい人はコメントして頂ければお答えしますので是非~