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第二次世界大戦時の主要7ヵ国の潜水艦隊の戦果(総撃沈トン数及び総撃沈隻数)の比較

気になって調べてみた「第二次世界大戦時の主要七ヵ国(枢軸:ドイツ・イタリア・日本、連合:アメリカ・英国・ソ連・フランス)の潜水艦隊の戦果(総撃沈トン数及び総撃沈隻数)の比較」がTwitterで貼ったら軽く反響があったので、今回のブログ更新は備忘録的な感じでこれについてちょっと書いてみようと思う。

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第二次世界大戦時の主要七ヵ国海軍の潜水艦隊の戦果(撃沈トン数及び総撃沈隻数)の比較。

上の図が第二次世界大戦時の主要七ヵ国の潜水艦隊の戦果の比較である(珍しくイタリア語ではなくわかりやすさを重視して英語(英語苦手なのだが)で書いてみた)。これを一応日本語にして表にしてみると以下のようになる。

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第二次世界大戦時の主要七ヵ国海軍の潜水艦隊の戦果の表

ざっとこんな感じだ。フランス海軍のみ事情が特殊で、分裂後の自由フランス海軍及びヴィシー・フランス海軍時代の戦果も含んでいる。イタリア海軍も1943.9の休戦以降に枢軸国側のイタリア社会共和国(RSI政権)海軍側と、連合国(共同交戦国)側の共同交戦海軍(王立海軍)側に分かれているが、RSI海軍の潜水艦隊はCB級ポケット潜水艦しかなく(通常潜水艦の残存艦はドイツ海軍に接収されている)、潜水艦戦による撃沈戦果は少ないため、1940.6~1943.9の「枢軸国側の王立イタリア海軍(レージャ・マリーナ)」としての戦果のみとした。

 

◇枢軸国

◆ドイツ海軍潜水艦隊(1939.9~1945.5)
:14,100,000トン(2779隻)

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第二次世界大戦時のドイツ潜水艦トップ、UボートVIIB型「U-48」。就役は1939年4月22日。 総撃沈トン数:321,000トン(計55隻)。

流石は潜水艦大国ドイツ、といったところか。実は言うと開戦時(1939.9.1)のドイツ海軍の潜水艦隊は準備不足故にUボートは僅か57隻程度にとどまっており、これは当時のイタリア海軍(108隻)より少ない(なお、イタリア海軍は当時ソ連に次ぐ世界第二位の潜水艦隊であった)。おまけに言うと、フランス海軍や英海軍にも及んでいなかった。これは後にデーニッツ元帥も批判している。

準備不足で戦争に突入したドイツ海軍だが、序盤のノルウェー戦で強引な艦隊運営によって、貴重な水上戦力の大半を失ってしまった。その後は海軍も潜水艦メインにならざるを得なくなったが、イタリア参戦時(1940.6.10)にはまだ潜水艦の建造はあまり進んでいなかった。その後からようやく本格的な潜水艦の増産に移り、日本が参戦する1941.12.7頃にはイタリア海軍の潜水艦隊を抜き、248隻のUボート保有するようになった。最終的に終戦までに1000隻以上ものUボートが作られている。

ドイツの潜水艦作戦は非常に高い戦果を挙げた。というのも、増産した潜水艦を英国本土付近や北大西洋といった英国の重要な航路に張り付け、輸送船団を襲撃しまくった。英国も本土周辺に張り付かれては迂回のしようがないので、その結果、ドイツ潜水艦に輸送船団が次々と襲われることになったのである。最も撃沈トン数を誇ったのは「U-48」で、実に321,000トン(計55隻)の戦果を挙げている。

 


イタリア海軍潜水艦隊(1940.6~1943.9)
:914,740トン(184隻)

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第二次世界大戦時のイタリア潜水艦トップ、マルコーニ級「レオナルド・ダ・ヴィンチ」。 就役は1940年3月5日。総撃沈トン数:120,243トン(計17隻)。

枢軸第二位の撃沈トン数はイタリア撃沈隻数は偶然にも日本海軍と同数である。王立海軍は最も参戦期間が短い(とはいえ、日本と数カ月しか違わないが)ため、十分高い戦果と言えるだろう。伊海軍はイタリア参戦時の段階では117隻の潜水艦を保有しており、これは当時、ソ連海軍に次ぐ第二位の規模であった。1930年代から海軍参謀長を務め、開戦時もその職にあったカヴァニャーリ提督が潜水艦を重要視したためである(対照的に空母や電子技術は冷遇された)。

しかし、フランス休戦後、大西洋に進出したイタリア海軍は大西洋での潜水艦による通商破壊戦に従事することになったものの、ドイツ海軍との確執の結果、輸送船団との遭遇率が低い(つまり連合国側にとっては重要な航路ではない)南大西洋を割り当てられてしまった。このため、ドイツ潜水艦部隊に比べて戦果が見劣りする形となる。とはいえ、そんな状況であるにも関わらず、No.1撃沈トン数の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(総撃沈トン数:120,243トン、撃沈隻数:17隻)No.1撃沈隻数の「エンリコ・タッツォーリ」(総撃沈トン数:98,433トン、撃沈隻数:19隻)を始めとする巡航潜水艦が南大西洋を中心に戦果を挙げた。なお、レオナルド・ダ・ヴィンチ」は第二次世界大戦時の潜水艦の中では、ドイツ潜水艦を除けば世界一位の撃沈トン数である。

また、イタリア潜水艦部隊のもう一つの主戦場は地中海である。しかし、地中海も輸送船団の遭遇率が低かった。というのも、英国は喜望峰回りのルートで地中海を迂回できたため、イタリア海軍が跋扈する地中海を船団は回避していた。地中海を通る船団はマルタ島の補給作戦だったり、限定された船団であった。また、地中海は外洋に比べて波が穏やかで水深が浅く、更に透明度も高いため潜水艦の運用が難しかったのも問題であった(とはいえ、伊英両国共に潜水艦を多用しているのだが)。

輸送船団との遭遇率が低い地中海であったが、潜水艦部隊は船団襲撃だけでなく、港湾攻撃といった特殊作戦でも活躍した。例えば、アレクサンドリア港攻撃では、潜水艦「シィレー」から発進した人間魚雷部隊が英戦艦「クイーン・エリザベス」及び同型艦「ヴァリアント」を爆沈させるという大戦果を挙げている。地中海や大西洋の他にも、イタリア潜水艦は紅海、黒海、インド洋、太平洋でまで活動した。

総評としては、輸送船団との遭遇率が低い海域、独日に比べて短い事実上の参戦期間、潜水艦運用が難しい地中海、そしてドイツ潜水艦には劣る装備など、不利な条件が多かったにもかかわらず、ここまで戦果を挙げられたことは高く評価出来るだろう。

 


日本海軍潜水艦隊(1941.12~1945.8)
:907,000トン(184隻)

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第二次世界大戦時の日本潜水艦トップ、伊9型「伊10」。 就役は1941年10月31日。総撃沈トン数:81,533トン(計14隻)。

撃沈隻数ではイタリア海軍と同数だが、総撃沈トン数ではイタリアよりやや少ない日本の潜水艦が意外と戦果が少ない(といっても十分多いのだが)のを意外に思う人もいるだろう(私もそうであった)。その原因として挙げられるのは、まず日本海軍の主戦場となった太平洋は広大であり、連合軍側との輸送船団との遭遇率が総じて低かった。それに加え、ドイツ海軍(日本参戦時248隻保有)、ましてやイタリア海軍(日本参戦時103隻保有)よりも潜水艦の保有数が少なかった日本海軍(参戦時65隻保有)にとっては、その広大な太平洋をカヴァーするだけの力は存在しなかった

しかも、日本海軍は艦隊決戦を重視し、通商破壊を軽視していた。つまりは、ドイツ潜水艦のように敵商船を狙ったのではなく、日本海軍は潜水艦を主に偵察艦として用いて、連合軍の機動艦隊を発見し、攻撃するために運用したのである。その結果、全体的な撃沈戦果が落ちた、というわけである。そのため、日本海軍の潜水艦で最も戦果が多い「伊10」も、総撃沈トン数は81,533トン、撃沈隻数14隻と、ドイツやイタリアのエース潜水艦の戦果に比べて見劣りする結果となった。

とはいえ、「伊19」による空母「ワスプ」撃沈など、連合軍側に与えた脅威は大きかったため、一概に運用方法に間違いがあるとは言えない。また、他国と異なる潜水艦の運用方法と言えば、航空機搭載型の潜水艦(所謂「潜水空母」)によって、アメリカ本土への航空爆撃を実行したことであった。各国でも同様の潜水空母は実験的に開発されたが、実戦で敵領土への爆撃を実行したのは日本海軍のみである。

 

◇連合国

アメリカ海軍潜水艦隊(1941.12~)
:4,650,000トン(1079隻)

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第二次世界大戦時のアメリカ潜水艦トップ、バラオ級「タング」。 就役は1943年10月15日。総撃沈トン数:116,454トン(計33隻)。

太平洋の王者、アメリカ海軍第二次世界大戦時では参戦時期に遅さにも拘わらず、日本船団を中心に大きな戦果を挙げ、ドイツ潜水艦隊に次ぐ撃沈トン数と撃沈隻数を誇った。通商破壊で日本軍の補給ルートを壊滅させただけでなく、その傍ら、日本海軍機動部隊の襲撃においても多くの戦果を挙げた。

その中でも特に知られたのがガトー級潜水艦やバラオ級潜水艦で、日本海軍を代表する主力空母「翔鶴」、日本初の装甲空母大鳳」、大戦時最大の空母であった「信濃」といった数々の日本海軍の主力艦を撃沈して猛威を振るった。バラオ級潜水艦「タング」はアメリカ海軍の潜水艦でトップの撃沈数(トン数及び隻数共に)を誇り、33隻(総撃沈トン数は116,454トン)もの日本の輸送船を撃沈している。

 

英国海軍潜水艦隊(1939.9~)
:1,520,000トン(493隻)

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第二次世界大戦時の英国潜水艦トップ、U級「アップホルダー」。 就役は1940年10月31日。総撃沈トン数:93,031トン(計14隻)。

英国は元々潜水艦をそこまで多く保有しておらず、1939年9月の第二次世界大戦開戦時の英国海軍の潜水艦戦力は85隻ほどであった。このうち、地中海に60隻、本土艦隊に21隻、大西洋に4隻が配備されていた。しかし、イタリアが第二次世界大戦に参戦し、地中海が戦場になると英国は潜水艦の大量製造に踏み切ることになり、こうして生産された潜水艦たちが地中海にバラ撒かれ、イタリア船団相手に猛威を振るった(とはいえ、イタリア参戦以前の北海方面においても、本国艦隊所属の潜水艦たちが約13万トン(計33隻)ものドイツ輸送船を撃沈している)。

一方で、対するイタリア海軍側も優秀な水雷艇を率いて対潜戦を展開し、英海軍潜水艦隊も苦しめられている。地中海が潜水艦の運用が難しかったのもあり、消耗率も激しかった英国海軍のトップエース潜水艦であった「アップホルダー」を撃沈したのも、イタリア水雷艇「ペガソ」である(なお、英海軍潜水艦を最も多く撃沈した枢軸国側の海軍は、当然ながらイタリア海軍であった)。

どちらにせよ、英国潜水艦部隊の主戦場は地中海であり、その次に北海であった。そのため、アジア方面での戦果はあまりない(とはいえ、アジア方面でも重巡「足柄」を撃沈するなどの戦果を挙げている)。最も多くの戦果を挙げた英国潜水艦はU級潜水艦「アップホルダー」である。地中海で活動した「アップホルダー」は、イタリア輸送船を中心に計14隻、合計トン数93,031トンを撃沈している。この中には輸送船だけでなく、エストラーレ級駆逐艦「リベッチオ」、スクアーロ級潜水艦「トリケーコ」、アンミラーリ級潜水艦「サン・ボン」といったイタリア軍も含まれていた。

 

ソ連海軍潜水艦隊(1941.6~)
:172,785トン(191隻)

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第二次世界大戦時のソ連潜水艦トップ、S級「S-13」。 就役は1941年7月31日。総撃沈トン数:44,138トン(計5隻)。

1939年の第二次世界大戦開戦時、ソ連海軍は世界第一位の潜水艦隊を保有していた(計165隻)。しかし、その戦果は意外にも少ない。とはいえ、撃沈隻数はイタリアや日本より多い...のだが、「あれ?なんか桁一つ間違ってない?」と思った人もいるだろう。私もそう思った。同じく撃沈隻数が184隻のイタリア海軍潜水艦隊と日本海軍潜水艦隊は、イタリアの場合は総撃沈トン数が914,740トン、日本は907,000トンである。それに対して、ソ連の場合は172,785トン。これには理由がある。

第二次世界大戦時、ソ連海軍にとって最大の敵はドイツ海軍である。1941.6に突如不可侵条約を破棄して侵攻してきたドイツ軍は次々とソ連領内を蹂躙していった。このため、ソ連潜水艦は侵攻する枢軸軍に対抗するための沿岸防衛を強いられ、近海での戦果に限定されることとなる。故に、大型輸送船ではなく、哨戒艇のような小型艇が戦果として多くなり、「撃沈隻数は多くても、撃沈トン数少ない」...ということになった。

また、ソ連海軍は大粛清の影響をモロに受けて多くの優秀な将兵を失っており、1933年に伊ソ不可侵条約を結んで以来、交流が盛んだったイタリア海軍の支援を受けて再建を進めていた最中であった。そのため、練度も低く、例えば黒海ではそのイタリア海軍のポケット潜水艦部隊の攻撃を受けて、浮上航行中の多数の潜水艦が失われている

第二次世界大戦時のソ連潜水艦隊はバルト海北極海黒海、そして太平洋の4つの戦域で戦ったバルト海ソ連潜水艦隊にとって最大の戦場となった。ドイツ海軍やフィンランド海軍の船艇を中心とする計107隻の敵船を撃沈している。一方で、その損失も多かった。第二の戦場は黒海で、ドイツ船を中心とする計45隻を撃沈している。ここでソ連海軍の脅威となったのが、対潜戦のノウハウを持つイタリア海軍であった。続いて、北極海では計35隻の敵船を撃沈し、最後に大戦末期の対日参戦時に、太平洋方面で4隻の日本船を撃沈している。こうして、計191隻の敵船を撃沈したのであった。

ソ連海軍の潜水艦で最も多くの戦果を挙げたのは、S級潜水艦「S-13」であった。バルト海で活動、1942年9月11日~18日の間の7日間で3隻の輸送船を撃沈し、その後フィンランド海軍の駆潜艇による爆雷で深刻な被害を受けてドッグ入りした後、修復後には大戦末期の1945年1月~2月にはドイツの大型輸送船2隻を撃沈し、計5隻、総撃沈トン数44,138トンもの輸送船を撃沈したのであった。しかし、ドイツ輸送船「ヴィルヘルム・グストロフ」の撃沈によって、民間人の難民らを含む約9,400人が犠牲になっており、海事史上最大の犠牲者を出すこととなってしまった。

 

フランス海軍潜水艦隊(1939.9~)

:38,838t(25隻)

※自由フランス海軍及びヴィシー・フランス海軍による戦果も含む(1940.6~1944.8)

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第二次世界大戦時のフランス潜水艦トップ、サフィール級「リュビ」。 就役は1933年4月4日。総撃沈トン数:21,000トン(計22隻)。

第二次世界大戦時のフランス海軍は、主要国の海軍の中で最も悲惨な目にあった海軍と言えるだろう。というのも、強力な艦隊を擁していたものの、陸軍の敗北の結果祖国が二分され、海軍もロクに活躍出来ずに両陣営からの攻撃を受けたり、鹵獲を防ごうと自沈するなどして艦隊は壊滅していった...という悲哀の海軍だ。そんなフランス海軍は、潜水艦隊も思うように活躍出来なかった

1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発する。フランスは直ちに英国と共にドイツに宣戦布告したが、この時点でのフランス海軍の潜水艦隊は計77隻の潜水艦を保有しており、当時で言うと世界第五位の潜水艦隊であった。当然、開戦時はドイツ海軍よりも潜水艦の保有数が多かった

フランス海軍は潜水艦隊を主に地中海で運用する予定であった。そして、フランスが世界中に保有する植民地帝国の防衛を担当した。当時、地中海戦域におけるライヴァルのイタリアは中立を宣言していたが、イタリアは既にドイツの同盟国であった。イタリア参戦後は地中海におけるイタリア船団を攻撃するのがフランス潜水艦隊の役目であった。しかし、1940年6月、陸軍が敗北したことで祖国が蹂躙され、ドイツ・イタリアの枢軸軍と安々と休戦したことでこの計画は狂うことになった。

休戦後、ロンドンに亡命したド・ゴール将軍が「自由フランス」の成立を宣言し、当時の本国政府であったペタン将軍率いるヴィシー政権と対立する形となった。ヴィシー・フランス(正式名称はエタ・フランセ)はドイツの傀儡政権と称されるが、形式上は中立国であり、枢軸国側への協力を強いられたが枢軸国側での参戦はしなかった。しかし、フランス艦隊が枢軸国側に渡ることを恐れた英国海軍によって攻撃を受けることとなる。フランス海軍も休戦によって、「自由フランス海軍」と「ヴィシー・フランス海軍」に二分されることになり、潜水艦隊も二分された

ヴィシー・フランス海軍と自由フランス海軍による「内戦」も発生し、シリア戦線では自由フランス海軍の輸送船と間違われて、ヴィシー・フランス海軍の潜水艦にトルコ海軍(中立)の兵員輸送船「レファー」が撃沈されるという痛ましい事故が起こっている(しかし、これは最近は伊潜水艦「オンディーナ」によるものだという説も出ている)。

第二次世界大戦時のフランス潜水艦で最も戦果を挙げたのはサフィール級潜水艦「リュビ」で、敷設した機雷と砲撃によって総撃沈トン数21,000トン、計22隻の撃沈数もの敵輸送船を撃沈している。これは同時に自由フランス海軍の艦艇でトップの撃沈数を誇る艦艇であった。結果、フランス潜水艦は第二次世界大戦時を通じて、25隻~30隻程度の敵艦を撃沈したとされている。また、フランス海軍の潜水艦というと203mm砲2門を搭載した大型潜水艦「スルクフ」(日本では英語読みのシュルクーフで呼ばれることも多い)が有名だが、特に目立った戦果を挙げることはなかった。