バドリオ政権は「反ファシスト政権」だったか?
1943年7月、ディーノ・グランディ(Dino Grandi)を中心とするファシスト重鎮らによるファシズム大評議会内でのムッソリーニ解任動議に加え、ヴィットーリオ・アンブロージオ参謀総長(Vittorio Ambrosio)やピエトロ・ダックァローネ宮内大臣(Pietro d'Acquarone)を中心とする軍部・王党派らによるクーデターによって、長きに渡るムッソリーニ政権は崩壊した。その後のバドリオ政権は表面上では枢軸国側での交戦を継続していたが、裏では連合国側での休戦交渉を行い、遂には1943年9月8日に連合国側への無条件降伏を発表するに至った。その後、ドイツ軍によって解放されたムッソリーニがイタリア中部・北部を支配する「イタリア社会共和国(RSI政権)」を成立させたことで、連合国占領下の南部に避難したバドリオ元帥率いる「王国政府」と並び、イタリアは二つの陣営に分かれる内戦状態に陥る事になった(とはいえ、内戦の主体は王国政府ではなくパルチザン勢力であったが)。
さて、そのバドリオ政権はファシスト政権を打倒した存在であったわけだが、これは果たして「反ファシスト政権」だったのだろうか?
1922年にムッソリーニ政権が成立して以降、国家ファシスト党の支配下にあったイタリアは、戦後の裁判では他国のように「ファシスト=コラボ(対独協力者)」という意味合いで汚名を着せる事が難しかった。というのも、新しく成立したバドリオ内閣自体がかつてのファシスト党員で構成されていたのである。故に、戦後の戦犯裁判の際にはこの辺の定義が他国に比べて難しくなった。イタリアは単なる敗戦国ではなく、1943年以降は国内が分裂し、内戦状態となったからだ。
バドリオ政権で入閣した閣僚たちは、殆どが何かしらの形でファシスト政権との関りをもっていた。法相ガエターノ・アッツァリーティ(Gaetano Azzariti)と商業産業相レオポルド・ピッカルディ(Leopoldo Piccardi)はかつてユダヤ人の迫害法案である「人種法」の制定に重要な役割を果たし、この「人種法」の積極的な支持者だった。財務相グイード・ユング(Guido Jung)はベネドゥーチェと共にIRI(産業復興機構)を創設したユダヤ人の元ファシストであり(先述の「人種法で失脚した」)、内相ウンベルト・リッチ(Umberto Ricci)は公共事業省の幹部であり、デ・ボーノ元帥(Emilio De Bono)の元でファシスト警察長官を務めた経験があった。
ファシスト政権期にナポリの都市改造を指揮したピエトロ・バラトーノ(Pietro Baratono)は官房副長官に任命されたが、彼はムッソリーニに信頼されて直接ナポリ知事に任命された人物であった。為替・通貨相ジョヴァンニ・アカンフォーラ(Giovanni Acanfora)と財務相ドメニコ・バルトリーニ(Domenico Bartolini)は両者共に主要銀行の総裁だが、彼らとてファシストとの関係が深かったことは言うまでもない。
人民文化相グイード・ロッコ(Guido Rocco)は、伝統的な外交官であったが、ファシスト政権期に外務省の広報官として国外向けのプロパガンダを指揮した人物であった。外相のラッファエーレ・グァリーリア(Raffaele Guariglia)でさえ、ファシスト派の外交官としてエチオピア戦争の正当化に奔走した人物である。当然ながら、バドリオ新政権の「南王国軍(共同交戦軍, 自由イタリア軍)」の幹部らは、1943年の休戦までイタリア軍の戦争指導者であり、連合軍と敵対する存在であった。
そもそも首相であるバドリオ元帥自身もムッソリーニに仕えた身であったし(ファシスト政権期の1925年から1940年まで国軍参謀総長を務めている)、リビア再征服やエチオピア侵略といった植民地戦争、第二次世界大戦初期には参謀総長を務めていた戦争指導者であった。植民地戦争における悪行は、王国政府と敵対する枢軸国側のイタリア社会共和国(RSI政権)国防相・国軍参謀総長となったロドルフォ・グラツィアーニ元帥(Rodolfo Graziani)と並び非常に悪名高い。
このイタリア初の「反ファシスト」政権は、実に内閣の殆どが「元ファシスト」や「戦争指導者」であり、ムッソリーニに仕えた身であったのである。故に、「反ファシスト」政権とは言えず、休戦を目的とした単なる「軍事独裁政権」に過ぎなかった。1944年4月の第二次バドリオ内閣成立によって、共産党のトリアッティ(Palmiro Togliatti)や自由党のクローチェ(Benedetto Croce)といった明確な反ファシストが入閣したことによって「反ファシスト色」は強まったが、真の意味での「反ファシスト」政権が生まれるには、バドリオ政権後のイヴァノエ・ボノーミ(Ivanoe Bonomi)政権の成立まで待たなければならない。
その為、「ファシスト」を裁く事となれば、「新政府」の内部崩壊に繋がる危険性があった。故に、明らかに起訴が可能なファシスト党員の罪は「1943年9月8日(バドリオ政権による無条件降伏宣言)以降のコラボ(対独協力)行為」のみであった。一応、バドリオ政権で入閣した「旧ファシスト」らに対する裁判も行われたが、殆どが不起訴に終わった。
その結果、告発を受けた人々の大半はバドリオ政権と敵対したRSI政権の関係者であった。ムッソリーニの解任に賛成したファシストに関しては大幹部であっても大した罪には問われなかったのである。つまり、裁かれるべき「ファシスト」は、ここで「サロ・ファシスト」に限定され、1943年以降RSI政権側に付かなかったファシストへの制裁は緩やかなものであった。
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