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エリトリアを巡る:アスマラーマッサワ間の途中下車の旅

今回もエリトリアの観光案内を紹介します。

今回は、アスマラーマッサワ間の途中下車観光スポットを紹介!


⬛︎ドガリ Dogali
ー「虐殺」の舞台となった古戦場ー

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ドガリのイタリア軍戦没者慰霊碑

 

他列強に遅れて国家統一を果たしたイタリアは、「後発帝国主義国家」として紅海沿岸に進出する。エジプトの撤退と共にマッサワからエリトリアの内陸部に進出したイタリアは、同じく紅海の港を求めたエチオピアと衝突する。この"エリトリア戦争"と呼ばれる一連の戦争で最も知られている戦いが、「ドガリの戦い」だ。ラス・アルラ率いるエチオピア軍が圧倒的戦力差でイタリア軍に一方的に勝利したために、イタリア側は「虐殺」として非難し、エチオピアに対して「野蛮」の烙印を押している。この時のドガリの戦いのイタリア軍戦没者慰霊碑が高台に残っており、見に行くことが出来る。「ドガリの戦い」で大敗したイタリアであったが、その後エリトリアの領有に成功したことから分かる通り、戦争自体には勝利した。
また、イタリアが建設した旧兵舎やドガリ橋、鉄道のドガリ駅も残っている。なお、ドガリ橋を始め、アスマラ-マッサワ間にはいくつかのイタリア時代の橋が掛かっているが、これらは2006年に日本政府の協力で修復された(橋の近くに記念碑がある)。

⬛︎マイ・アタル Mai Atal
エリトリア鉄道最初の開通区間

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マイ・アタル駅

 

1901年、マッサワ-アスマラ線の最初の区間が開通した際、マッサワからマイ・アタルまでの路線が開通した。現在も当時のマイ・アタル駅が良い保存状態で残っている。

⬛︎ガフテレイ Gahtelay
ー街道沿いの休憩地点ー

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イタリア植民地時代に作られた市場は、現在はショッピングセンターとなっている

 

街道沿いに発展した町で、遠くにモスクが見える。アスマラからここまで来ると道も平坦になり、同時に湿度と温度が高くなってくることを感じるだろう。バス停もあり、マッサワを目指すドライバー達の休憩地点になっている。街道沿いのパーキングエリアは、元々イタリア植民地時代に市場として作られた建造物。街道沿いにあるRed Sea Restaurantはランチを取るには丁度良い。フリッタータと焼きたてのパンで腹ごしらえをした後は、マッサワに向けて最後の道中に向かおう。

⬛︎ドンゴロ Dongolo
ー植民地時代から続く採水地ー

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奥には植民地時代の採水施設が見える

 

峠道を抜けて高低差はあるが緩やかになり始める地点にある町。植民地時代から続く採水地があり、現在もミネラルウォーターの採水地となっている。牛飼いの数も多い。イタリア植民地時代の採水施設(フォンテ・アックア・テルモ・ミネラーレ)も残っている。

⬛︎ギンダ Ghinda
エリトリア鉄道の中間地点ー

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ギンダの街

 

マッサワ-アスマラ線の中間駅(ギンダ駅)がある町。海抜888m地点に位置する。町全体は渓谷に広がっているため、非常に広い。

⬛︎ネファジット Nefasit
ー山岳の僧院と観光列車の町ー

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ネファジットの街

 

近郊に14世期に造られたデブレ・ビゼンの僧院があることで知られる町。
海抜1,671.65m地点に位置する。
アスマラを発車した観光列車の目的地(ネファジット駅)でもあり、植民地時代はアスマラ間で自動車レースも開催されていた。

⬛︎ドゥルフォ Durfo
ー鉄道バイパスとトンネルー

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ドゥルフォの第28番トンネル

アスマラから程近い位置にある場所。信号場と第28番トンネル、石造りの鉄道橋などを間近に見ることが出来る。エリトリア鉄道の撮影スポット。鉄道が走らない時はトンネル内や線路に立ち入って記念撮影も。線路沿いにはコーヒーショップがある。

東アフリカ戦線の激戦地を巡ろう! ーケレンとアゴルダトの観光案内ー

さて、前回に続いて今回もエリトリアの観光案内を扱っていきましょう!

今回は第二次世界大戦時、東アフリカ戦線の激戦地として知られたケレンとアゴルダトについてクローズアップしていきたいと思います。

 

⬛︎ケレン Keren, Cheren
ー市場の街として栄える第二次世界大戦時の激戦地ー

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ケレンのバスターミナルは多くの人で混雑する

地方区分:アンセバ地方
アンセバ地方の州都で、2019年12月現在アスマラに次ぐ人口を持つエリトリア第二の都市。市場の街として栄え、イタリア植民地時代には鉄道の敷設と共に、経済の中心地として発展した。イタリア時代の建築もアスマラに次いで数多く保存されている。交通の要衝であることから様々な民族・言語・文化が混ざり合う特異な街で、エリトリア唯一のアガウ諸語であるビレン語を話すビレン人達も、ケレン周辺にのみ分布している。
第二次世界大戦時には、戦略的に重要であったために、イタリア軍と英軍の激戦地となった。そのため、戦いのゆかりの場所が多い。「ケレンのイタリア兵」の勇敢さは敵である英軍も敬意を示したほどで、両軍に数多くの死傷者を出している。戦いを指揮し、戦死したロレンツィーニ将軍を始めとする戦死者達はイタリア人墓地に埋葬された。


◆アクセス
車→アスマラから約2時間。平坦で緩やかな道を進み、途中から峠道に変わる。マッサワ方面より路面状態は悪いため、結構揺れるので注意。交通量が多い割には道が狭いため、しばしばちょっとした渋滞が起こる。
バス→アスマラからバスがある。約3時間。
鉄道→現在復旧中


◆ケレンの名所
◇マリアム・デアリット

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マリアム・デアリット

1825年にサン・フランチェスコ会によって作られた、バオバブの幹を使った聖堂。生きた木の幹の内部に聖堂を作る、というスタイルは世界でも珍しく、神秘的な雰囲気。
第二次世界大戦中、英空軍の激しい爆撃がケレンを襲ったが、この木に身を隠したイタリア兵は無事に爆撃から生き延びた、というエピソードがある。


◇サンタントニオ大聖堂

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サンタントニオ大聖堂

 

ケレンの中心的な建築として知られる、巨大なカトリック大聖堂。イタリア植民地時代の建築ではなく、独立後に造られた現代建築。


◇サン・ミケーレ教会

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サン・ミケーレ教会

ケレン初の近代建築。元々あった教会は1871年にエジプト軍によって破壊されたため、カトリック宣教師が1873年に再建した。


◇サン・ガブリエーレ教会

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サン・ガブリエーレ教会

 

最近作られた新しい現代建築の教会。UFOのような特異な外見が特徴的。


◇グランド・モスク

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グランド・モスク

1896年に完成したケレンを代表するモスク。


◇ケレン市庁舎

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ケレン市庁舎

ケレンを代表するイタリア建築で、現在もケレンの市庁舎として使われている。


◇カーサ・デル・ファッショ

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カーサ・デル・ファッショ

イタリア植民地時代のファシスト党ケレン本部。現在は「チネマ・インペロ」という名前の映画館として使われている。元々はファシスト党の象徴である「ファッショ」のファザードが取り付けられていたが、第二次世界大戦時に英軍がケレンを制圧した後、取り外されてしまった。


◇ケレン駅

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ケレン駅

かつてのエリトリア鉄道のケレン駅舎。1910年着工だが、第一次世界大戦の勃発や、資金不足による建設会社の倒産などによって、完成が1922年にまでずれ込んだ。現在はバスターミナルとして使われている。


◇デ・ポンテ社

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デ・ポンテ社

 

1916年に完成したイタリア植民地時代の建築。イタリア入植者の植民地企業、G.デ・ポンテ社の本社が置かれていた。現在はケレンの信託銀行として使われている。


◇郵便局

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郵便局

1920年代に作られた植民地時代の郵便局。


イタリア軍墓地

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イタリア軍墓地

第二次世界大戦後、1950年に作られた墓地。ケレンの戦いで戦死したイタリア人将兵614名とエリトリア人アスカリ兵614名が埋葬されている。ケレンの戦いを指揮し、戦死したロレンツィーニ将軍の墓所もある。


◇英連邦軍墓地

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連邦軍墓地

ケレンの戦いで戦死した英兵及び英帝国の兵士達440名が埋葬された墓地。


◆ケレンのホテル
◇Sarina Hotel
ケレンの入り口にある新しいホテル。アスマラから訪れた時、真っ先に目に入るだろう。市の中心部からはやや離れている。レストランも併設。ケレンでは最も良い。


◇New Costina Hotel
ケレン中心部に位置する新しいホテル。市内観光には丁度良い。


Genet Hotel

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Genet Hotel

ケレン中心部、マーケットで賑わう区域にあるホテル。


◆ケレンの食事
◇Portico Restaurant

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美味しいインジェラセット

 

Sarina Hotelから市街地に向かって右側の街道沿いにあるレストラン。パスタなどのイタリアンもあるが、特にエリトリアの伝統料理が美味しい。インジェラセット(飲み物込み)で100ナクファインジェラは酸味が控えめで食べやすい。個人的にはエリトリアで一番美味しいインジェラ。肉は辛さが苦手な人は辛くないスタイルにしてくれる。肉とルッコラインジェラの絶妙な組み合わせが美味。ボリュームも満点。

 

⬛︎アゴルダト Agordat
ー旧鉄道の終着点である河畔の町ー

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ガシュ・バルカ地方の伝統家屋、アグド

 

地方区分:ガシュ・バルカ地方
ケレンを越えて更に西側に進んでいくとある町がアゴルダトだ。1978年に独立闘争の激化で鉄道が廃止されるまで、鉄道沿線で最後の主要都市だった。
バルカ河畔にある町で、肥沃な大地に囲まれているため、周辺で採れた作物が集積する農業都市・市場の街としても機能している。また、近郊のビシア鉱山は植民地時代の鉄道の終着点で、現在はエリトリア最大の金鉱山として知られる。また、ガシュ・バルカ地方では「アグド」と呼ばれる伝統的な藁葺き屋根の家屋が見ることが出来る。
交通の要衝であるため、第二次世界大戦時にはケレン同様に激戦地となった。英軍に「悪魔の指揮官」と呼ばれ畏怖された、イタリア軍のグイレット大尉率いるアムハラ騎兵隊が、アゴルダトの戦いで英軍戦車部隊を撃破して友軍の撤退の血路を開いたことで知られている。「第二次世界大戦中の伊軍騎兵部隊の活躍エピソード」はこれと、東部戦線のサヴォイア竜騎兵連隊が有名だ。


◆アクセス
車→ケレンから約2時間。路面状態が悪い上に危険な峠道であるため、悪天候により閉鎖されることもあるため注意。
バス→ケレンからバスがある。約4時間。
鉄道→現在復旧中
航空機→民間機のみ


アゴルダトの名所
オベリスク
第二次世界大戦時のアゴルダトの戦いで犠牲になったイタリア将兵と市民の慰霊碑。


アゴルダト大聖堂
植民地時代に造られたカトリック大聖堂。


アゴルダト駅
エリトリア鉄道の駅舎。1928年完成。
現在はアゴルダトの民間機用のローカル空港として再利用されている。空港として使われているため、無用なトラブルを避けるために写真の撮影は控えておこう。


◇グランド・モスク
エチオピア支配期、ハイレ・セラシエ帝の命によって造られたアゴルダトのシンボル。


アゴルダト要塞

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小高い丘の上は軍事基地に使われた

植民地時代にイタリアが築いた要塞。第二次世界大戦時、伊軍の司令部が置かれた。


◇ビシア鉱山

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放棄されたイタリア時代の鉄道

現在はビシャ(Bisha)と呼ばれており、金鉱山をはじめとするエリトリア最大級の鉱床として開発が進められている。植民地時代にはエリトリア鉄道の終着駅が存在した


アゴルダトのホテル
◇B.G.Selassie
アゴルダトの中心部にあるホテル。

Belamberasという名前でも知られている。観光客に人気。


アゴルダトの食事
◇Meseker Restaurant
バルカ地方の伝統的な料理が有名。


◇Abdul Rakim Restaurant
トルコ風の本場ヨーグルトが美味しい。