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イタリア軍事史跡紹介:グラッツァーノ・バドリオ ―バドリオ元帥ゆかりの地―

グラッツァーノ・バドリオ(Grazzano Badoglio)は、トリノとアスティの丁度中間地点に位置する人口600人程度の小さな町。名前からもわかる通り、ピエトロ・バドリオ陸軍元帥の出身地である。

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ピエトロ・バドリオ陸軍元帥

皆さんもご存知だと思うが、バドリオ元帥はファシスト政権期以前から軍の重鎮であった人物で、第二次世界大戦初期にはイタリア軍の統合参謀総長を務めた将軍だ。日本では1943年の王党派クーデターによる首相就任、そして休戦、対独宣戦布告と、「裏切り者」のイメージが強いが、その側面のみで彼を考える事はやや早計であると考える。そもそも彼はムッソリーニの後釜として担ぎ上げられたものの、彼自身がクーデターを主導したわけではない、という点はしっかり押さえておいて欲しい。

彼はグラツィアーニと共にリビアエチオピアで悪名を馳せたことで知られる。グラツィアーニが直接的な手段で植民地現地人を弾圧するのに対して、バドリオの方はもっと姑息な手段を用いた。リビア再征服では、叛乱軍を含むベドウィンの補給線を断って強制収容所送りにし、約10万人を餓死・病死させて抵抗運動を徹底的に弾圧させた。エチオピア戦争では、毒ガスの集中使用や無差別爆撃といった手段を選ばない方法でエチオピア帝国軍を殲滅し、首都アディスアベバを陥落させている。正直な話、グラツィアーニとバドリオは似た者同士という感じである。

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生家博物館の内部

彼の出身地であるグラッツァーノ・バドリオは、元々はグラッツァーノ・モンフェッラートという名前だったが、ファシスト政権期にバドリオ元帥を記念して名前が変更された。ファシスト政権期に名前が変更された町は戦後元に戻るケースが多いが、グラッツァーノ・バドリオの場合は変わらなかったようだ。現在、バドリオ元帥の生家は「バドリオ歴史博物館(Museo Storico Badogliano)」として博物館となっている。バドリオ元帥が携わったアフリカでの植民地戦争や第二次世界大戦の展示があり、長らく改修工事中だったが、今年改修が終了した。常に開館しているわけではなく、不定期に開館(HPにカレンダーが載っている)するので注意。入館料は€4。

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アスティの市場のワイナリー

アクセスとしては、トリノ・ポルタ・ヌォーヴァ駅からアスティまでFS線で約40分。アスティからはARFEA社のプルマンで1時間足らずで着く。アスティは白ワインが美味しく、町も美しいので途中で寄ってみるのもおすすめだ。