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中国空軍の発展過程におけるイタリア空軍顧問団の影響 ―日本軍と戦った中国空軍のイタリア機たち―

ファシスト政権期のイタリアは中国市場を重要視し、中国での影響拡大を狙っていた特に軍需関連分野の市場、特にイタリアが得意とする空軍の分野で中国政府にアプローチを掛けている。1933年、イタリア空軍は「イタリア空挺部隊の父」と言われるロベルト・ロルディ(Roberto Lordi)将軍率いる空軍顧問団を中国に派遣した。ロルディ将軍は蒋介石主席との信頼関係を構築し、中国空軍の近代化に尽力、その影響もあって総額4800万リレの軍用機と関連機器を売却している(更にロルディ将軍は中国空軍の飛行隊長の地位まで与えられている)。

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ロベルト・ロルディ(Roberto Lordi)。イタリア空軍将軍。「イタリア空挺部隊の父」と評価される人物だが、本人も優れた飛行士であり、サハラ最高峰であるティベスティ山地を世界で初めて飛行する事に成功している。1933年に空軍顧問として中国に派遣され、中国空軍の近代化に尽力した。

こうして、1930年代の中国空軍にとってイタリアは重要なサポーターだった周至柔将軍率いる中国空軍首脳部もイタリア側の姿勢を高く評価し、幹部をイタリアに派遣した。また、イタリア空軍顧問団によって中央航空学校でイタリア機を使ったイタリア式教育が行われた他、イタリアの技術者を杭州や南昌の航空機工廠に招き、航空機の組み立てに関する指導が行われている。空軍礼装の肩章がイタリア式なことからも、中国空軍がイタリアびいきだったことは伺えるだろう。

しかし、その後イタリアによるエチオピア侵攻と、それによる経済制裁への中国政府の支持により、伊中関係は悪化してしまう。更に、1935年にはロルディ将軍はファシスト政権と対立したために解任され帰国、その後任としてシルヴィオスカローニ将軍(Silvio Scaroni)を顧問団の団長としたが、中国側と信頼関係を結んでいたロルディ将軍の突然の解任に対し、蒋介石は不信感をあらわにしたという。とはいえ、その後もイタリア空軍の軍事顧問団による指導は行われた。

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「イ式重爆撃機」として日本に輸出されるFIAT BR.20"チコーニャ"双発爆撃機。日本とイタリアの接近は中国とイタリアの関係悪化を呼び起こした。

結果的にガレアッツォ・チャーノ外相が中国との協力体制から日本との協力体制に舵を切った事で、1938年8月にイタリアは中国への航空機売却を停止し、12月には空海使節の完全撤退を決定した。こうして、イタリアは中国軍にとって重要な協力者ではなくなってしまったのである(ドイツと中国の協力体制である「中独合作」はその後も続いていた)。一方で、日本との関係を重視したイタリアのFIAT社は日本に85機のBR.20"チコーニャ"爆撃機を輸出し、「イ式重爆撃機」という名で日本陸軍によって中国戦線の主力爆撃機として使われている。こうして、中国空軍の重要なパトロンはイタリアからアメリカに変化したのであった。

故に、イタリアは中国空軍の近代化に重要な役割を果たしたものの、日中戦争ではイタリア機が「主力」として中国空軍で使われることはなかった。しかし、輸出されたイタリア航空機が、日中戦争時に日中両軍で使われたという点は興味深いだろう。

ということで、今回は日中戦争時に中国空軍で使われたイタリア機について調べてみようと思う。

 

◆FIAT CR.32戦闘機:24機

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中国空軍仕様のFIAT CR.32戦闘機のCG。

FIAT社製の複葉戦闘機。初飛行は1933年

1936年に中国空軍は24機を購入している。イタリアでも戦間期の主力戦闘機として使われた機体で、優れた性能を持つ複葉戦闘機だった。コンパクトかつ丈夫で、操縦もしやすい好評の機体で、中国のみならず、オーストリアハンガリー、スペイン、ベネズエラにも輸出されている。中国に輸出された機体は整備を単純化させるために武装やエンジンを中国軍仕様に改造されている。首都南京周辺の防空を担当する、中国空軍でも指ぬきのエリート部隊に配備された。しかし、南京防衛戦で全機が失われている。

 

◆FIAT CR.30戦闘機:2機

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FIAT CR.30戦闘機。

FIAT社製の複葉戦闘機。初飛行は1932年

中国空軍には伊中友好の証として、1933年にCR.32戦闘機とともに2機が売却された。CR.32と同様に中国空軍仕様に改造されている。CR.32と共に南京防衛戦で戦ったが、2機とも失われた。

 

◆ブレダ Ba.27戦闘機:12機

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中国空軍仕様のブレダ Ba.27戦闘機。

レダ社製の単葉戦闘機。初飛行は1933年

イタリア空軍では採用されなかった機体だが、1937年に中国空軍が18機を発注し、その内12機(11機とも)が中国空軍に配備された日中戦争が開始し、航空機不足に悩む中国空軍と、イタリア空軍で採用されなかったために海外市場に取引先を探していたブレダ社の利害が一致し、中国に輸出された機体だった。そのため、中国空軍の主力戦闘機の一つとなったものの、実戦での評価は芳しくなく(パイロット曰く扱いづらい機体)、更には墜落事故の多発によって4人の飛行士が死亡している。これはイタリア機全体の中国空軍内での評価も下げる結果となってしまった。

 

サヴォイアマルケッティ SM.81B"ピピストレッロ"爆撃機:3機

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サヴォイアマルケッティ SM.81"ピピストレッロ"爆撃機

サヴォイアマルケッティ社製の三発爆撃機。初飛行は1934年

SM.81BはSM.81の改良型で、馬力が780から840に上昇し、航続距離も長くなっている。中国空軍待望の新型爆撃機で、6機を発注したが、配備されたのはその内3機だった。機体が丈夫で耐久度が高く、防御火器も強力で信頼性が高かった。

 

サヴォイアマルケッティ S.72爆撃機:7機

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中国空軍仕様のサヴォイアマルケッティ SM.72爆撃機

サヴォイアマルケッティ社製の爆撃機。初飛行は1932年

カプロニ Ca.111に置き換わる形で中国空軍に配備された爆撃機1935年に伊中友好の証として、サヴォイアマルケッティ社は試作品のS.72爆撃機を中国空軍に贈り、その性能を気に入った中国空軍側は20機を発注しかし、実際に中国に届いたのは6機のみだった。なお、イタリア空軍では採用されていない。日中戦争で主力爆撃機として使われたが、次第に旧式化したために輸送機として使われた。

 

◆カプロニ Ca.111偵察爆撃機:7機

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中国空軍仕様のカプロニ Ca.111偵察爆撃機

カプロニ社製の偵察爆撃機。初飛行は1932年

デ・ベルナルディのローマ-モスクワ間長距離高速飛行でも知られる機体で、シンプルな設計であるが信頼性が高く、優れた性能を持った爆撃機だった。中国空軍は7機を購入し、日中戦争初期の主力爆撃機として機能した。その信頼性の高さから部隊からの評判も良く、日本軍陣地爆撃で重宝されている。

 

◆カプロニ Ca.101爆撃機/輸送機:14機

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カプロニ Ca.101爆撃機/輸送機。

カプロニ社製の爆撃機/輸送機。初飛行は1928年

元々は民間輸送機として開発された機体だが、軍用機としてもイタリア空軍で使われた。エチオピア戦争では爆撃機として使われた他、偵察任務や輸送任務などにも使われた事実上の多用途機であった。毒ガス散布にも使われている。中国空軍は1933年に14機を購入したが、既に旧式化しており輸送機として使われている

 

◆FIAT BR.3偵察爆撃機:数機

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FIAT BR.3偵察爆撃機

FIAT社製の偵察爆撃機。初飛行は1930年

中国空軍に輸出された数は不明であるが、実戦部隊に使われている日中戦争初期には敵陣地への爆撃や、中国陸軍の地上支援、更には軽巡「逸仙」含む中国艦隊との共同作戦も実行した。ただ、稼働率が低かったようで、アメリカ軍の航空武官が中国に到着した頃にはほぼ半数しか飛行が出来なくなっていたという。結局、時代遅れの機体であったため、時代が経つとともに使われなくなった。

 

◆ブレダ Ba.28練習機:18機

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中国空軍仕様のブレダ Ba.28練習機。

レダ社製の練習機。初飛行は1935年

レダ Ba.25練習機から発展した複葉練習機。Ba.25は国際的に評価が高い練習機として知られ、中国空軍はその発展形であるBa.28を18機購入している。中国空軍の飛行学校での飛行訓練機として使われた。

 

結果的に、中国空軍が購入したイタリア機は
FIAT CR.32戦闘機:24機
FIAT CR.30戦闘機:2機
レダ Ba.27戦闘機:12機
サヴォイアマルケッティ SM.81B"ピピストレッロ"爆撃機:3機
サヴォイアマルケッティ S.72爆撃機:7機
カプロニ Ca.111偵察爆撃機:7機
カプロニ Ca.101爆撃機/輸送機:14機
FIAT BR.3偵察爆撃機:数不明
レダ Ba.28練習機:18機

であった。

結局、イタリアは中国空軍の近代化に重要な役割を果たしたものの、関係悪化によって早期に航空機の輸出を停止したために、中国空軍に輸出されたイタリア機は少数にとどまることとなったのであった

なお余談であるが、イタリアは軍事顧問として空軍顧問団だけでなく、海軍顧問団も派遣していた。これは蒋介石率いる国民政府の海軍ではなく、魚雷艇中心の海軍を作っていた広東軍閥の海軍に影響を与えたようで、2隻のMAS艇が広東軍閥に輸出されている。