イタリアの「駄作機」とエースたち:第四話 ―試作機を戦場で「実地試験」!SM.86急降下爆撃機とスカルピーニ軍曹―
今回の『「駄作機」とエース』は、失敗に終わったイタリアの急降下爆撃機開発の象徴とも言える、サヴォイア・マルケッティ SM.86急降下爆撃機と、そのパイロットとして「実戦試験」を行ったエリオ・スカルピーニ(Elio Scarpini)軍曹について紹介するとしよう。イタリア空軍では基本的に試作機の十分な試験飛行を行うのだが、SM.86に至っては第二次世界大戦にイタリアが参戦し、急降下爆撃機の導入が急務になっていたことから試作機段階で「実戦試験」として戦場に投入されたのである。
エリオ・スカルピーニ軍曹は優れた曲芸飛行パイロットとして知られており、サヴォイア・マルケッティ社のテストパイロットとして務めていた。現在のイタリア空軍曲芸飛行部隊「フレッチェ・トリコローレ」の母体と呼べる飛行隊に所属し、後に空軍参謀長となるリノ・コルソ・フージェ(Rino Corso Fougier)将軍とも親しかった。第二次世界大戦にイタリアが参戦すると、スカルピーニ軍曹は空軍に復帰するが、急降下爆撃機開発に手をこまねいていたイタリア空軍は、経験豊富な彼の腕を買い、試作機であるSM.86の「実地試験」を任せたのであった。
なお、その「実戦試験」の結果、思ったように性能が振るわずSM.86は僅か2機しか生産されず、試作機段階で開発が終了となってしまったが、試作機が戦場でいきなりテスト!というのはさながらロボットアニメとかその辺っぽい感じがする(まぁ活躍出来ればもっとよかったのだが、そんなことはなかった。仮にそうなら試作段階で終わってない)。では、この愛すべき「駄作機」と、共に戦場を舞ったエースのを見てみよう。
With エリオ・スカルピーニ
戦間期、航空理論家であるアメデーオ・メコッツィ(Amedeo Mecozzi)大佐らの意見やスペイン内戦時に得た教訓によって、他国の空軍同様にイタリア空軍でも急降下爆撃の有効性が認められるようになり、急降下爆撃機開発が開始された。しかし、急降下爆撃機は地上攻撃機の延長と考えられ、本格的には進んでいなかった。
サヴォイア・マルケッティ社のアレッサンドロ・マルケッティ(Alessandro Marchetti)技師は急降下爆撃機の開発を開始。こうして完成したのがSM.86の前身となった、「イタリア初の急降下爆撃機」サヴォイア・マルケッティ SM.85である。SM.85は1935年に試験飛行に成功したが、テスト結果では満足いく結果は得られなかった。とはいえ、急降下爆撃機が必要であったイタリア空軍はこの機体の量産を決定し、試作機2機を含む計34機が量産され、イタリア空軍初の急降下爆撃機部隊(第96急降下爆撃航空群)がこの機体で作られた。パンテッレリーア島にこの部隊は配備され、マルタ攻撃を念頭に置いたのである。
SM.85はその見た目から「翼の生えたバナナ」とパイロットたちに呼ばれた。木金混合の胴体に、全木製の主翼を持ち、武装は12.7mm機銃×2で、爆弾の搭載量は最大800kgだった。急降下爆撃機の導入を急いだイタリア空軍はこの機体で部隊を編成したものの、試験飛行でも様々な欠点が明らかになっていた。
高度を上げるのに非常に時間が掛かり、機動性が悪かったことが指摘され、急降下中の飛行性が悪く、不安定であることが判明した。とはいえ、そこまで深刻な問題ではない、と判断されて量産が決定、パンテッレリーア島に配備されたわけである。しかし、問題はここからだ。SM.85の致命的な欠点がパンテッレリーア島に配備されてから明らかとなった。
パンテッレリーア島は地中海に浮かぶ孤島で、連合軍から「ムッソリーニのマルタ島」とも呼ばれて高度に要塞化された島であった。「イタリア初の急降下爆撃機」SM.85はこの島に配備となり、英国の地中海の心臓であるマルタ島を叩く重要な役割を担ったのであった...が、そこで、SM.85は思わぬ悲劇に遭遇する。それは、照り付ける強い日光と吹き付ける海風であった。全木製の翼を持つSM.85にとって、これはひとたまりもなく、たちまち機体は歪みを引き起こし、事故が多発。実戦に投入された機体も対空砲火で深刻な損害を受けた。悲惨なことに、全機が飛行不可能に追い込まれたのであった。
だが、こういった悲劇の前から、サヴォイア・マルケッティ社はSM.85が力不足であることはテスト飛行の結果からも予想は付いており(流石に全機が飛行不可能になるとは思わなかっただろうが)、早くも1938年の段階から改良型であるSM.86の開発を行っていた。こうして開発されたのが、サヴォイア・マルケッティ SM.86急降下爆撃機である。
SM.86はSM.85を基礎としているものの、機体は洗練されたデザインで、SM.85の欠点を隅々まで解決しているためほぼ別の機体と考えて良いだろう。武装はSM.85と変わらず12.7mm機銃×2で、爆弾の搭載量は最大800kgであったが、エンジンと機体を強化したことにより最高速度、巡航速度、上昇限度、航続距離等、全てにおいてSM.85より優れた性能を出した。急降下時の不安定さも改善されたが、重量が増加したため運動性能に関しては大きな変化はなかった。
SM.86のテスト飛行には、経験豊富なテストパイロットであるスカルピーニ軍曹が担当した。SM.86はテスト飛行で良好な結果を示した。そんな中、第二次世界大戦にイタリアが参戦し、更にパンテッレリーア島に配備されたSM.85が全機飛行不可能という悲惨な状態に陥ることとなった。空軍参謀長フランチェスコ・プリーコロ(Francesco Pricolo)はこの事態を受けて、急遽ドイツ・ユンカース社のJu-87(所謂シュトゥーカ)の導入を決定し、急降下爆撃機の人員をオーストリアのグラーツに派遣している。
一方で、戦力を揃えるためにイタリア国内での急降下爆撃機開発も継続された。急降下爆撃機の戦力配備を急いだイタリアは、まさに「猫の手も借りたい」状態であり(現状でイタリアに急降下爆撃機の戦力はゼロだった)、このため試験飛行中のSM.86も戦場に投入し、「実地試験」を行うこととしたである。こうして、スカルピーニ軍曹は第96急降下爆撃航空群に配備され、シチリアのコーミゾ基地に配属となったのであった。
スカルピーニ軍曹とSM.86の「実地試験」はまず、1940年9月のマルタ攻撃に始まった。これはスカルピーニ軍曹及びSM.86の初の実戦参加ともなった。12機のJu-87"ピッキアテッロ"と共に作戦に問題なく従事し、マルタ島南部の空軍施設爆撃に成功、効果を挙げている。ひとまず作戦は成功したため、その後10月27日にギリシャへの攻撃のためにプーリアのレッチェ基地に移動する。こうして10月28日にギリシャとの戦争が開始すると、11月4日にスカルピーニ軍曹が駆るSM.86は4機のJu-87と共に出撃し、ギリシャ戦線に出征、イオアニーナのギリシャ空軍基地への攻撃に成功し、無事帰還した。
さて、このマルタとギリシャにおける2度の「実地試験」を経て、Ju-87と共に行動したことによってSM.86の最終的な評価が決まった。結局、無事作戦を遂行し、成功させたものの、性能的にJu-87に何一つ勝るところはないという厳しい評価を下され、イタリア空軍首脳部は国産急降下爆撃機開発に見切りをつけることとなったのであった。サヴォイア・マルケッティ社はそれでも諦めずにSM.86の改良作業を続けたものの、12月21日にはテストパイロットであったスカルピーニ軍曹がJu-87での作戦時に戦死を遂げたこともあり、翌年8月に最後の飛行を終えて開発は中止となったのである。同時期に、進められてた他社の急降下爆撃機開発も中止となり、イタリアの国産急降下爆撃機開発は完全な失敗という結果に終わったのであった。
サヴォイア・マルケッティ SM.86はまさにイタリア国産急降下爆撃機開発の迷走を体現した機体と言えるだろう。
『「駄作機」とエース』シリーズ
第一話↓
第二話↓
第三話↓
第五話↓
◆参考
・吉川和篤/山野治夫著『イタリア軍入門 1939~1945 ―第二次大戦を駆け抜けたローマ帝国の末裔たち―』イカロス出版・2006
・吉川和篤著『Viva!知られざるイタリア軍』イカロス出版・2012
・Emilio Brotzu著, Scuola Collegamento 10; Dimensione Cielo, aerei italiani nella 2 guerra mondiale, Edizioni Dell'Ateneo & Bizzarri, 1977
・Giuseppe Pesce著, Il bombardamento in picchiata e la regia aeronautica,Mucchi, 1976
・Giorgio Apostolo著, Tuffatori Savoia Marchetti SM85–SM86, 2009
・David Mondey著, The Hamlyn Concise Guide to Axis Aircraft of World War II, Book Sales, 2002
・Franco Pagliano著, Aviatori italiani 1940-1945, Mursia, 2004
・B.Palmiro Boschesi著, L'ITALIA NELLA II GUERRA MONDIALE, Mondadori, 1975
・Giovanni Massimello, Giorgio Apostolo著, Gli assi italiani della seconda guerra mondiale, LEG Edizioni, 2012