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ファシストと芸術:ディーノ・アルフィエーリとロベルト・ファリナッチのプロパガンダ芸術

前回の続きで、ファシスト政権期の芸術政策について紹介しよう。

 

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ディーノ・アルフィエーリ(左)とロベルト・ファリナッチ(右)

芸術のファシストプロパガンダへの利用を強く推進した人物として、中心的に挙げられるのが後に人民文化相となるディーノ・アルフィエーリ(Dino Alfieri)と、非妥協派ファシストの中心人物ロベルト・ファリナッチ(Roberto Farinacci)である。プロパガンダ芸術を推進する彼らは、プロパガンダ芸術以外を否定し、芸術と政治の絶妙なバランスの維持を求めるボッターイ(Giuseppe Bottai)と激しく対立した。

 

まず、ディーノ・アルフィエーリのプロパガンダ芸術であるが、これはアルフィエーリがローマ進軍10周年記念の「ファシスト革命展」の企画責任者であったことが由来である。彼はムッソリーニの「今日的で近代的なものを作れ」という命を受けて、アダルベルト・リベラ(Adalberto Libera)マリオ・デ・レンツィ(Mario De Renzi)の案を採用、自らカタログを起草した。会場の設営にはマリオ・シローニ(Mario Sironi)ジュゼッペ・テッラーニ(Giuseppe Terragni)らも参加した。

 

この時のプロパガンダ芸術として例を挙げるなら、リベラの“U室”という部屋であった。「ファシズム殉教者の聖室」とも呼ばれ、内部には“PER LA PATRIA IMMORTALE(不死なる祖国のために)”と書かれた十字架が中央に立っており、円形壁面の六条の帯には夥しい数の“PRESENTE!(はい!)”が書かれている。これは軍隊の点呼の掛け声である。この部屋はファシズムの「政治の神聖化」を表しており、プロパガンダ芸術の典型例であった。

 

次に、非妥協派ファシストの中心人物、ファリナッチのプロパガンダ芸術である。党内随一の武闘派として知られる彼であるが、意外にも芸術に関しても強い関心を持っていた

 

ファリナッチは絵画コンクール「クレモナ賞」を創設した。これはあらかじめ定められたテーマの作品を公募し、テーマもファシズムイデオロギーに即した内容が求められた。政治色が極めて強い、プロパガンダ芸術である。なお、ボッターイはこれに反対し、絵画コンクール「ベルガモ賞」を創設して対抗した。こちらは絵画賞がプロパガンダの奨励を目的としているわけではないため、特定のテーマが強要されず、主題の制限は設けられていなかった。

 

芸術思想的にファリナッチとボッターイは完全に真逆と言ってよく、度々芸術論争を繰り広げたが、イタリアがドイツに接近したことで、モダン・アートが否定されていったことにより、ファリナッチ優位になっていった。余談だが、ファリナッチは「人種法」の制定に大賛成であったが、ボッターイはこれに反対した。

 

建築に関してもボッターイとアルフィエーリは対立していた。ファシスト・イタリアは大規模な建築ラッシュと数々のインフラ整備を行った。旧市街の大規模な区画整備や新都市の開発が進められ、それらの多くが現在でも人々の生活基盤となっている。また、逆にこの建築ラッシュによって古い街路や建物が失われたことをジュゼッペ・ボッターイは非難し、これらを肯定したディーノ・アルフィエーリやパオロ・イニャツィオ・タオン・ディ・レヴェル(Paolo Ignazio Maria Thaon di Revel)とは対立した。

 

1920年代以降、各都市の役所や学校、郵便局、駅舎、娯楽施設といった数々の公共建造物が誕生した。ここではその一部を紹介する。

ローマでは、ローマ進軍十周年に合わせて、ヴェネツィア宮殿とコロッセオを結ぶ直線道路である「帝国通り(Via dei fori imperiali)」や、郊外の巨大スポーツ施設「フォロ・ムッソリーニ(現フォロ・イタリコ)」、新都心「エウル」、映画撮影所「チネチッタ」などが作られた。

ヴェネツィアではヴェネツィア本島と本土のメストレ地区を結ぶ道路橋「リットリオ橋(現リベルタ橋)」が建設され、トリノでは競技場「スタディオ・ムッソリーニ(現スタディオ・オリンピコ・ディ・トリノ)」が建設された。その他、イタリア各地の主要都市から地方都市まで、様々な建築が作られている。現在残る代表的な例だと、合理主義建築家ジュゼッペ・テッラーニによる建築が多く残るロンバルディアのコモが有名だろう。

 

鉄道関係では、イタリアのリミニとサンマリノ共和国の首都サンマリノ市を結ぶ鉄道が結ばれたほか、ローマ・テルミニ駅とミラノ中央駅の改修工事や、フィレンツェサンタ・マリア・ノヴェッラ駅舎の建造などが行われた。

新市の建設として代表的な例は、ローマ近くのアグロ・ポンティーノ大湿地帯(マラリアの発生地としても悩みのタネだった)の干拓事業によるリットーリア(現ラティーナ)やサバウディアなどの建設や、サルデーニャの鉱山労働者のための都市カルボーニアの建設などがあった。

なお、2015年12月20日に放送された“NHKスペシャル 新・映像の世紀「第3集 時代は独裁者を求めた」”で流れたムッソリーニの上半身裸の演説映像は、アグロ・ポンティーノ大湿地帯の干拓事業時に行われた演説である。

 

参考文献

鯖江秀樹著『イタリア・ファシズムの芸術政治』水声社・2011

マーク・マゾワー著・中田瑞穂/網谷龍介訳『暗黒の大陸 ―ヨーロッパの20世紀―』未来社・2015

北原敦編『イタリア史』山川出版社・2008

マクス・ガロ著・木村裕主訳『ムッソリーニの時代』文藝春秋・1987