『帰ってきたムッソリーニ』の聖地巡礼! ―ドゥーチェが周ったルートを辿ってみよう―
昨日、イタリア文化会館で開催された『帰ってきたムッソリーニ』の一般試写会にお招きいただいたので、9月20日の本上映より一足早く見てきました!(といっても、既に4月の段階でイタリア映画祭にて先行上映を見ているので、かれこれ何回か見ています)。今回のブログ更新は、そんな『帰ってきたムッソリーニ』に登場する実際の場所を紹介しようと思います。所謂、聖地巡礼ですね!とりあえず、私が行ってきた範囲で!(一応念のためネタバレ気にするの人は見ない方がいいかも...)
:ローマ
◇ヴィッラ・トルローニア
―王国宰相時代のムッソリーニ一家の邸宅―
まず、最初はやはりヴィッラ・トルローニア(Villa Torlonia)!
この邸宅は、イタリア王国の首相となったムッソリーニが1925年から1943年まで借り受けた邸宅です。ムッソリーニ一家が住んだのが、この大きな敷地内の本館であるカシーノ・ノビレ(Casino Nobile)。
元々は貴族のトルローニア家の邸宅だった建物で、当時のトルローニア家当主だったジョヴァンニ・トルローニア公爵が1年間1リラという安値でムッソリーニに貸し与えたものでした(ムッソリーニに貸した後、トルローニア公爵は敷地内の別の屋敷に移り住みました)。なお、このトルローニア公爵は元々ボルゲーゼ家の出身で、トルローニア家の娘と結婚したため、トルローニア家の跡継ぎになった...という形です。
さて、このヴィッラ・トルローニアは、現在は博物館として一般公開されています。映画の作中でも子どもたちが社会科見学で訪れていましたね。当然、元は貴族の屋敷であるため、内部は非常に豪奢な作り!1Fはエントランスや映像室など、2Fはドゥーチェの寝室、3Fは美術館室になっています。
作中ではドゥーチェが家に「帰る」シーンで登場します。まぁ博物館となっているため、当然すぐに出なければいけなくなるわけですが...
勿論、ドゥーチェの寝室にも入ることが出来ます。なお、作中では邸宅の前に置かれた壺の下から鍵を取るシーンがありますが、実際はあそこには壺自体がありません(笑)。邸宅内部にはムッソリーニ一家が邸宅として利用していた頃の写真が数多く展示されており、更に映像室では当時の映像や、ムッソリーニの三男ロマーノ氏(ドゥーチェの孫娘アレッサンドラの父)へのインタビューも見ることが可能です。
アクセスとしてはローマ地下鉄B線「ポリクリニコ」駅から徒歩圏内で、バスでも行くことが可能です。アクセスが良く、しかも地球の歩き方にも載っている場所です。
◇エウル地区
―ムッソリーニが万博のために造らせた新市街―
エウル地区はローマ郊外に広がる新市街で、ムッソリーニが1942年に開催されるはずだったローマ万博(第二次世界大戦のため中止)のために造らせた場所です。ファシスト政権期の著名な建築家たち(テッラーニ、リーベラなど)の代表的な建築が立ち並ぶ地区で、ファシスト建築ファンにはたまらない場所!フォロ・イタリコとエウル地区はローマを訪れたらぜひとも行ってほしい場所です。
作中では、ムッソリーニがイタリア周遊の旅に出る出発点として登場します。カナレッティがあえてここを出発点として通ったのは、やはりムッソリーニがここの建設を命じたということを知っていたからでしょうか?
作中終盤のシーンでもそれっぽいところが出てきますが、ここかどうかはわかりません。場所を特定したいところですね...
エウル地区は広いため、ローマ地下鉄B線の駅が4つもあります。そのため、自分たちの行きたい場所に合わせて地下鉄を利用するのが良いでしょう。
◇ヴェネツィア宮
―ムッソリーニが数々の演説をした場所―
ファシスト政権期、ムッソリーニの執務室が置かれ、事実上「イタリア帝国の中心」であったヴェネツィア宮。
この宮殿のバルコニーでは、1940年の対英仏宣戦布告演説(第二次世界大戦へのイタリアの参戦演説)を始めとする、数々のムッソリーニの演説が行われたことで知られています。日本のエピソードだと、イタリアを訪れた松岡洋右外相がこのバルコニーからムッソリーニと共に集まったローマの民衆に挨拶していましたね。
作中では終盤に車でこの前をムッソリーニが通るシーンがあります。このヴェネツィア宮の前の広場がヴェネツィア広場で、ファシスト政権期はムッソリーニの演説を聞こうと多くの民衆がここに集まりました。
ファシスト政権期は事実上イタリアの心臓部と言える場所であり、更に「ファシズムというイデオロギーの中心」ともされました。そのため、ローマの都市開発もここを中心に行われ、例えばこのヴェネツィア宮からコロッセオを繋ぐフォーリ・インペリアーリ通りはファシスト政権期に「帝国通り」の名の下で作られた大動脈でした。
この道路の建設は、古代ローマ帝国の象徴たるコロッセオと、ファシズムの中心であるヴェネツィア宮を結びつけることで、視覚的に古代ローマ帝国とファシスト・イタリアの連続性を表現した...というわけです。この通りではファシスト政権期に数々の軍事パレードが行われました。
アクセスとしてはローマ地下鉄B線「コロッセオ」駅から徒歩でフォーリ・インペリアーリ通りを通ってヴェネツィア宮に向かうと、歴史を感じられて面白いです。
◇プレダッピオ
―ムッソリーニの生まれ故郷―
エミリア・ロマーニャ州にある小さな山間の町、プレダッピオ。ここは、ムッソリーニが生まれた町として知られています。作中ではムッソリーニのイタリア全土周遊の旅で、わずかなカットシーンが登場するのみですが、ムッソリーニ好きにとってはたまらない、まさに「聖地」と言える町です。
まず、プレダッピオ市のランドマークである「ムッソリーニの生家」。現在も保存されており、博物館として公開されています。内部の家具などはありませんが、ファシスト政権期のプレダッピオ市の発展(ムッソリーニは出身地であるプレダッピオにも数々のファシズム建築を作った)がよくわかる写真などが飾られています。
次に、ムッソリーニ一家の廟。プレダッピオ郊外にある共同墓地の中心にあり、この地下にムッソリーニを含む一家の棺が置かれているのです。敗戦国の独裁者の墓所がここまで豪華、というのは珍しいでしょう。しかも、戦後に作られたもので、当時のイタリア政府(アドネ・ツォーリ政権)がOKを出しているのです。
当然、ネオ・ファシストらの「聖地」でもあり、彼の命日には多くの参拝客が訪れます。とはいえ、ファシストじゃなくともムッソリーニに同情的なイタリア人は映画で語られたように割と多く、例えばプレダッピオ市民には「地元から出た偉人」という扱いで好意的に捉えられています。
そして、何と言っても凄いのが、プレダッピオ市の土産店!何とドゥーチェグッズをずらりと揃えています!シャツや胸像、ペン、ポスター、オリジナルワイン(映画作中でもチラッと登場)、何でも来い、という感じ。中にはムッソリーニだけじゃなく、かのヒトラーのグッズ(ドイツには売っていません)や、更には旭日旗グッズなんかもあったり、めっちゃ枢軸のかほりがするお店です。お店の人がとても親切で、良いお店です!
ドゥーチェ好きにはたまらない!
一応、イタリア各地ではたまにムッソリーニグッズを売っているお店が存在します。ムッソリーニゆかりの地に多く、例えば、北部イタリアのガルダ湖畔(イタリア社会共和国の中心)やグラン・サッソ(ムッソリーニが幽閉された場所)など。以前はもっといろんなとこで売っていたようですが...でも、プレダッピオの土産店の品ぞろえに勝てる店は、イタリアのどこを探しても存在しない!
アクセスとしては、鉄道でフォルリ駅まで行き、そこからタクシーもしくはバスでプレダッピオに向かうのが最適です。バスは時間がシビアなので、タクシーがおススメ。フォルリ駅はボローニャ駅から約1時間程度の距離です。
◇ラティーナ
ラティーナはローマ近郊の都市で、1930年代に新たに作られた若き都市。この都市はムッソリーニが主導した大規模干拓事業によってアグロ・ポンティーノ大湿地帯が干拓されたことによって建設されました。当時の名前は「リットーリア」。これは、古代ローマの警士である「リークトルの~」を意味する形容詞に由来しています。
ファシスト政権期に作られた都市は結構ファシズム体制に関連する名前が付けられていて、例えば同じく干拓事業で建設されたサルデーニャ島のアルボレーア市は、ファシスト政権期には「ムッソリーニア」と呼ばれていました。
さて、このラティーナですが、作中ではムッソリーニがイタリア周遊の旅の最中で、農家の農作業を手伝うシーンで出てきます。ファシスト政権期もムッソリーニはここで農作業をしているので、そのオマージュという感じでしょうか。当時の国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世とのほほえましい農作業シーンもあります。
ラティーナの農地開拓の歴史を知りたいならば、ピアーナ・デッレ・オルメ歴史博物館がおススメ。当時の映像や写真、更には等身大のジオラマでファシスト政権期のラティーナの歴史を紹介しています。ただ、アクセスが滅茶苦茶悪いです。というか、この辺は車が無いとかなりしんどいでしょう(私は徒歩で行きましたが、確実におススメしません)。ローマ・テルミニ駅からラティーナ駅までは、Rで約40分程度。
◇ナポリ
―太陽降り注ぐ「永遠の劇場」―
イタリア南部最大の都市で、イタリアではローマ、ミラノに次ぐ第三位の都市ナポリ。作中のムッソリーニの全土周遊旅行でガッツリ登場します。作中で独裁への肯定的意見や、中央政府への不満が聞かれるように、南部は伝統的に反中央政府で、更にムッソリーニ及びファシスト政権への拒否感が少ない地域です。実際、私が滞在中や旅行中に出会った南部の人は概ねムッソリーニに肯定的でした。
例えばですが、シチリア出身の大家さんはプレダッピオで買ったドゥーチェの胸像を見ても怒るどころか「ドゥーチェ!」と言ってとても喜び、ナポリの鉄道で仲良くなった男性は「ファシスト政権史を調べている」と言ったら「ムッソリーニ好きなのかい?アイツはいい男だぜ!」と返してくれたり....と、いう感じです。
アクセスは簡単。ローマ・テルミニ駅からバビュッとアルタヴェロチタ(イタリアの新幹線)に乗れば約1時間でナポリ中央駅まで着きます。日帰り観光も可能ですが、ナポリは食の宝庫なので泊まるのがおススメ。ピッツァが安いし美味い!
―中部イタリアを代表するルネサンスの古都―
中部イタリアの主要都市で、トスカーナ州の州都フィレンツェ。在伊日本人も多く暮らしており、日本人的にも馴染みの深い町。作中では、ムッソリーニのイタリア周遊の旅のシーンで、ヴェッキオ橋や中央市場などがガッツリ登場します。
ムッソリーニがキアニーナ牛の純粋性を語るシーンは、フィレンツェの中央市場が舞台。キアニーナ牛はトスカーナのブランド牛で、最近は日本でも輸入されています。おススメは、中央市場のキアニーナ牛バーガー!ボリューム満点で美味いです。
なお、ファシズムやムッソリーニに関しては、基本的にフィレンツェを含むトスカーナは否定的な意見が多い...というか、寧ろかなり嫌われています。それは、トスカーナが左派色が強く、旧パルチザン層がメインだからです。
アクセスは簡単!ローマ・テルミニ駅からアルタヴェロチタでバビュッと約1時間半程度でフィレンツェ・S.M.ノヴェッラ駅に着きます。
◇ミラノ
―イタリア経済を牽引する北部の中心―
北部イタリアの中心都市で、イタリア第二の都市ミラノ。イタリア経済の中心であり、イタリアの時代の最先端を行く街。日本人観光客的にはレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリーア・デッレ・グラツィエ教会があったり、ファッションブランドの店が数多くあることで知られていますね。
ファシズム的な観点で見ると、ミラノはファシズム発祥の地であり、更には1943年のイタリア分裂で成立した「イタリア社会共和国」の中心として、最後の最後までファシズムの支配にあった街でした。戦後はキリスト教民主主義が支持層でしたが、現在は連立与党であるLegaの支持母体の街だったりと、結構右寄り。
ムッソリーニが殺害されたのちに吊るされたのは、このミラノのロレート広場。また、イタリア社会共和国時代に中心となったガルダ湖畔のサロや、ムッソリーニがパルチザンに殺害されたコモ湖畔はミラノから鉄道で行くことが可能です。
アクセスは、ミラノまで直接成田空港からアリタリア航空の直行便が出ているほか、ローマ・テルミニ駅からアルタヴェロチタで約3時間程で着きます。ローマからミラノまで国内便を使うって手もあります。主要都市なので行き方色々。
これらの舞台の他にも、リッチョーネの浜辺や、場所の特定が出来ていない場所含めいろんな箇所が登場します。全部特定出来たら、「ドゥーチェのイタリア旅行の再現」も可能ですね!頑張って特定したいところです。
さてさて、『帰ってきたムッソリーニ』の劇場公開はもう来週、9月20日になりました!
私もまた見に行きますぞ~(勿論DVDも出たら買います買います)
日本では貴重なドゥーチェ映画なので、是非とも劇場に足を運んでみてください~