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ファシスト・イタリアとイエメン王国

イエメンは第二次世界大戦の数少ない中立国の一つだった。

そんなイエメンとファシスト政権期のイタリアの知られざる関係について調べてみた。

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ムッソリーニとイエメン王子のツーショット写真

1926年9月に締結された「サナア条約」によって、イタリアとイエメン王国の正式な国交が樹立された。

現在の北イエメンを統治するイエメン王国はオスマン帝国の崩壊後に独立したが、北部国境を接するサウジアラビア南イエメンを支配する英国と対立関係にあった。ムッソリーニはイエメンの「大イエメン構想」を認める形で支援を開始したのであった。

この「サナア条約」の締結には、ヤコポ・ガスパリーニという人物が深くかかわっていた。エリトリア総督であったガスパリーニは、イエメンとイタリアの関係接近に重要な役割を果たした人物だった。イエメンとの関係緊密化は、エリトリア植民地の地位上昇にも役立つとかガスパリーニは考えていたのである。1926年のサナア条約締結に導き、その後は駐イエメン大使として影響力を拡大した。

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ヤコポ・ガスパリーニ(Jacopo Gasparini)

実際、イエメンとの関係強化はイタリアの紅海での貿易の拡大に大きな役割を果たした。英国にとってアデン保護領は戦略的に重要であったため、イエメンにおけるイタリアの影響力の拡大は脅威となった。イタリアのエチオピア征服後は条約が更新され、対ムスリム懐柔外交もあって両国関係は更に緊密になった。これらのイエメンにおけるイタリアの影響力拡大は、イタリアによる一連の中東における膨張政策の一つだった。

ムッソリーニは1934年3月18日の演説で「イタリアの二つの目標はアジアとアフリカであり、南と東は最も重要な膨張の方面である」と言明した。イタリアにとって、新ローマ帝国建設の医師はファシズムイデオロギーの対外姿勢に重要な位置を占めていたのである。1930年代初めより、イタリアはイエメンを含む中東全域に対する宣伝、政治、破壊工作をより強化し、1935年以降は諜報活動も強化している。イタリアは中東でのアラブ・ナショナリズム称揚を利用していた。その例として、1936年4月のパレスチナでのアラブ人大叛乱が挙げられる。この叛乱では、イタリア側は宣伝のみならず、領事部を通じて資金、武器、補給物資を提供していた。

中東やアフリカにおけるイタリアの影響力の拡大に対して、エチオピア帝国軍の義勇兵として参加したトルコ人ワヒブ・パシャはジジガでイタリアを非難する講演を行った。彼はイタリアのエチオピア征服の次は、イエメンや他のイスラーム諸国への征服が計画され、ムスリムの諸国民は奴隷へと格下げされる、と主張した。彼の部下であったシリア人義勇兵スレイヤー・ベイは軍事使節としてイエメン軍の近代化に従事した人物であったが、エチオピア義勇兵に参加している。

イエメン王ヤヒヤーは「大イエメン」の統治を求めてサウジと英国と領土紛争を繰り広げるも、英国とは1934年2月に停戦し、英国はイエメンの独立を40年間保証し、イエメンはアデンへの攻撃を止めることを約束する「友好条約」が締結された。

そして、1934年3月、サウジアラビアはイエメンに奪われた領土の奪還を求め侵攻を開始した。サウジ軍は戦車を用いたが、山岳戦に優れるイエメン軍に苦戦。結果、1934年5月には両国間で講和が成立、20年間の平和条約が締結されたが、緊張状態は続いたままとなった。イタリア軍はイエメン領内に軍を駐屯させていたが、伊英両国共に対立を避けるため、この戦いに直接介入はしなかった。

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イエメン侵攻を行うサウジアラビア

イマーム・ヤヒヤーはフダイダを中心とする紅海沿岸をサウジから防衛する事には成功したが、ナジュラーンなどその他の占領地を失い、アデンの英国からの奪還も果たせず、「大イエメン」の理想は完全に失敗した。しかし、彼の理想は彼の後継者に受け継がれていく事になる。

第二次世界大戦ではイエメンは中立を宣言した。イエメンは領土的野心を捨てていなかったが、英国やサウジとの戦争は望まなかった。かといって、サウジアラビアのように英国寄りの立場には英国への不信感からしなかった。その結果、イエメンはイタリアとの友好関係を維持し、直接参戦はしないが義勇軍を派遣するという選択肢を取った。約500人のイエメン人義勇兵はグイレット大尉のアムハラ騎兵隊に参加し、東アフリカ戦線で連合軍と勇敢に戦ったのであった。

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アムハラ騎兵隊