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イタリア社会共和国(RSI政権)による「ヨーロッパ共同体構想」 ―ファシストによる欧州統合―

「ヨーロッパ統合構想」。戦乱が絶えないヨーロッパから戦争を取り除き、平和な世界を作るために数多の欧州の思想家・活動家たちが考えてきた。今日における欧州連合(EU)が成立するまでの苦難は非常に長く、厳しいものであった。

欧州統合論は第一次世界大戦という壮絶な「ヨーロッパの内戦」の後に活発化、流行化していった。しかし、ファシスト政権期のイタリアではそれは見られない(私の調べ不足かもしれないが)。対して、ヒトラーは軍事力による欧州再編計画、つまり「ヨーロッパ新秩序」を構想していた。これはシュペーアを中心に計画されたものである。ムッソリーニがこのような計画を構想しなかったのは、現実主義者だったからだろう。現実的に、欧州統合構想はしばしば「理想主義」と批判され、「非現実的」だとされていた。汎ヨーロッパ論ならまだしも、軍事力によって欧州再編を行うなど不可能である。

イタリア社会共和国の「ヨーロッパ統合構想」

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RSI政権閣僚たち。ヴェローナ党大会にて。

しかし、1943年の休戦後に成立したイタリア社会共和国(RSI政権)では「ヨーロッパ共同体構想」というものが存在した。これは、1943年11月の共和ファシスト党ヴェローナ党大会にて宣言されたものであった。

このヴェローナ党大会にて、共和ファシスト党書記長アレッサンドロ・パヴォリーニは、社会共和国の外交基本方針として、「共和国の独立と統一」、「領土の保全」、「イタリア国民4500万人の生命圏(スパツィオ・ヴィターレ)の確保」を宣言し、その後、「ヨーロッパ共同体構想」を宣言した。

これによると、RSI政権による「ヨーロッパ共同体構想」は、「欧州への英国の勢力浸透に反対するヨーロッパ諸国」による連邦を組織、これによってヨーロッパ共同体の実現に努力する。更にこの共同体は、資本主義の廃止と、アフリカにおける天然資源の開発を主要目標とした。この主要な要素を他の同時期のヨーロッパ統合構想とも比較して見てみよう。

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イタリア社会共和国を国家承認した国家。橙がイタリア社会共和国、赤色がRSI政権を承認した枢軸国もしくは枢軸国占領下、茶色は枢軸国側だが非承認、紫は非公式の外交関係を持った。

①反英主義の欧州諸国による連邦の形成

まず、「欧州への英国の勢力浸透に反対するヨーロッパ諸国」による連邦という点を見てみよう。これは明らかにヨーロッパからの英国の排斥を目的としている。ナポレオンの大陸封鎖令に近いと考えられる。「ある一国よりも強い自国を作る」という意味では、RSI政権の「ヨーロッパ共同体構想」と、自由フランスの「戦後ヨーロッパ秩序の再編案」は似た特徴を持っている。

すなわち、RSIが「英国より強いイタリア」を求めたが、自由フランスも「ドイツより強いフランス」を求めたのである。自由フランスが「戦後ヨーロッパ秩序の再編案」に求めたのは、フランスの経済力強化と、安全保障の確保であった。具体的には「フランスが軍事的にも経済的にも勝てそうな国」との関税同盟の創設や、競争を防止するために欧州諸国間の石炭・鉄鋼業でのカルテルの創設を具体案として出していた。

「危険な他者」に対する防衛手段としてのヨーロッパ統合というのは、クーデンホーフ・カレルギーの「汎ヨーロッパ」でも見られる。あちらではアメリカとソ連に対する防衛であるが、こちらではそれの対象が英国となっただけだ。「欧州への英国の勢力浸透に反対する」とあるが、当然同じアングロサクソンアメリカは「危険な他者」に含まれるだろうし、ファシズム伝統の反共主義に基づき、ソ連も「危険な他者」と言えるだろう。ただ、明確にそれらは述べられていない。ソ連がドイツを弱体化させることをムッソリーニは望んでいたため、ソ連は必ずしも「敵」ではないのかもしれない。

また、当時(1943年11月)の欧州はまだ大部分が枢軸国側だったため、「欧州への英国の勢力浸透に反対するヨーロッパ諸国」による連邦形成は理論上可能であり、夢物語ではない。また、この共同体は連邦制を意識しているようだ。つまりは、「ヨーロッパ合衆国」のようなものを想定しているのだろうか?

②資本主義の廃止

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「欧州統合の父」アルティエーロ・スピネッリ

次に、「資本主義の廃止」についてだが、資本主義の廃止についてであるが、は個人の貯蓄に基づく私有財産は保障するが、国民全般の利益にかかわる資産は国の所管とするというヴェローナ宣言の方針に沿うものであろう。これに関してはムッソリーニが激しく批判している。理由としては「共産主義的過ぎる」ことであり、「我々が20年間も共産主義と戦ってきたのはなんだったのか」と嘆いている。そもそも、この党大会の主宰はムッソリーニは拒否している。

実際、同時期に発表されたアルティエーロ・スピネッリの「ヴェントテーネ宣言」第三部に似通うものがある。アルティエーロ・スピネッリは、「欧州統合の父」と呼ばれる人物の一人で、イタリアの共産主義者だ。ファシスト政権期は逮捕され、ヴェントテーネ島に流刑となっており、自由主義者エルネスト・ロッシらと共に欧州統合構想「ヴェントテーネ宣言」を書き上げた。これの第三部によると、私有財産は廃止・限定(しかし、原則を教条主義的に従うものではない)され、インフラは国家によって独占的に管理するべき、というスタンスが述べられた。第三部はスピネッリではなく、自由主義者エルネスト・ロッシらによって起草されたところが大きい。「ヴェントテーネ宣言」ほど過激ではないにしろ、似通うものがある。

③植民地開発

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「汎ヨーロッパ」クーデンホーフ・カレルギー

最後は、アフリカにおける天然資源の開発だ。植民地主義的、と思うだろうが、これは当時のヨーロッパ統合構想では何ら変なことではない。例えば、クーデンホーフ・カレルギー伯が論じた「汎ヨーロッパ」でも、植民地が含まれており、植民地支配を正当化する理論として「民主主義」や「平和主義」を用いた。つまりは、「文明の使節」として植民地拡大を正当化するやり口であり、デ・ボーノ将軍と大して変わらないのである。これに対し、クレマンソーは植民地は経済的に勝ちが無いとして批判していた。すなわち、「ヨーロッパ至上主義」的な「欧州統合構想」は何もファシスト独自なものでなく、当時の流行としては自然なものであった。しかし、あえてアフリカだけに限定しているのは、アジアに同盟国である日本やタイの存在があったからかもしれない。

 

では、この「ヨーロッパ共同体構想」の発案者は誰なのか?「資本主義の廃止」にはムッソリーニやファリナッチが反発しているため、少なくとも彼らではないのは確かだろう。では、ヴェローナ党大会を主宰したパヴォリーニなのだろうか?詳しく調べる必要があるだろう。