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イタリアの「駄作機」とエースたち:第一話 ―Ba.65及びCa.310と、「北アフリカの戦車キラー」ヴィスコンティ少尉―

今までイタリア空軍の様々なエピソードを紹介してきたが、今回は一風変わったテーマを紹介してみようと思う。それは、ズバリ!イタリア空軍のエースたちと、イタリアが誇る(?)愛すべき「駄作機」のエピソードだ。

第二次世界大戦時のイタリアには、CR.42やMC.202、SM.79のような「傑作機」があったのと同時に、他の国と同様に"欠陥機"とすらも言われた、所謂「駄作機」も多く存在していた。特に有名なものと言えば、レダ Ba.88"リンチェ"戦闘爆撃機だろう。「第二次世界大戦時の航空機で最も失敗した機体」とまで言われた、"イタリア空軍最悪の欠陥機"と評価される機体だ。この手の大戦緒戦で大敗を喫した「駄作機」のエピソードばかりが独り歩きし、「イタリア機=欠陥が多い機体」なんて勘違いされることがあるほどだ(つまりは、イタリア空軍の風評被害の要因とも言える)。

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アドリアーノヴィスコンティ(Adriano Visconti)と、ブレダ Ba.65"ニッビオ"攻撃機及びカプロニ Ca.310"リベッチオ"偵察爆撃機

しかしながら、そういった「駄作機」が必ずしも負の側面だけだったわけではない。「駄作機」と呼ばれている機体でも、「傑作機」と肩を並べる活躍を見せた機体も存在するのである。これはつまり、操縦手の操縦能力の高さを物語っており、要するに第二次世界大戦時に活躍したイタリア空軍のエースたちによって為された。

今回はそんなエースと「駄作機」のエピソードの中から、北アフリカの戦車キラー」と呼べる活躍を見せたヴィスコンティと、Ba.65及びCa.310の活躍を紹介しよう!

 

レダ Ba.65"ニッビオ"攻撃機

カプロニ Ca.310"リベッチオ"偵察爆撃機

   With アドリアーノヴィスコンティ

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アドリアーノヴィスコンティ(Adriano Visconti)

最初に紹介するのは、第二次世界大戦時のイタリア空軍を代表するエース、アドリアーノヴィスコンティ(Adriano Visconti)と、「駄作機」レダ Ba.65"ニッビオ"攻撃機及びカプロニ Ca.310"リベッチオ"偵察爆撃機のエピソードだ。ヴィスコンティフランコ・ルッキーニ(Franco Lucchini)と並び、第二次世界大戦時のイタリア空軍エースでは特に有名なパイロットであり、非公式戦果を含めれば公式戦果での伊空軍最高位エースであるテレシオ・ヴィットーリオ・マルティノーリ(Teresio Vittorio Martinoli)を越して、イタリア最高位エースである。紅の豚』にも彼がモデルになった人物が登場している(残念ながらバラッカと共にカーチスに敗れたが...)。優秀なパイロットでありながら、カリスマ的な指揮官でもあり、部下から広く慕われる人物であった。

そんな彼は、第二次世界大戦にイタリアが参戦した1940年6月、地上攻撃を担当する第50襲撃航空団第12航空群第159飛行隊(リビア・トブルク基地)に配属されていた。イタリアが大戦に参加したため、ヴィスコンティも任務に出撃することになった。この第159飛行隊時代のヴィスコンティ少尉の機体が、レダ Ba.65"ニッビオ"攻撃機だったのである

 

ヴィスコンティとBa.65 ―「北アフリカのルーデル」―

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レダ Ba.65"ニッビオ"攻撃機

ここで、レダ Ba.65"ニッビオ"という機体について説明しておこう。

Ba.65は兵器生産の名門、ブレダ社が開発・生産した対地攻撃機である。「マルチロール機(多用途機)」として開発されたBa.64の後継機として開発され、開発・設計はBa.64に引き続きアントニオ・パラーノ(Antonio Parano)及びジュゼッペ・パンツェーリ(Giuseppe Panzeri)という二人の技師が担当した。この「マルチロール機」はその名の通り、その場に応じて戦闘機・軽爆撃機偵察機などの用途を使い分けることが出来る、所謂「万能機」として開発された機体だ。

武装は7.7mm機銃×2及び12.7mm機銃×2で、偵察機タイプの複座型はこれに加えて更に12.7mm機銃1挺が追加で装備されていた。爆弾の搭載量は最大で1000kg、つまり1トンの爆弾を詰めることになっていたが、それには燃料を減らしたり工夫をこなす必要があった事から、戦場では500kg程度の搭載が通常となったようだ。なお、愛称の「ニッビオ(Nibbio)」はイタリア語で「鳶(トンビ)」のことであったが、これはあくまで非公式の愛称であった。

Ba.65の初陣はスペイン内戦だった。スペイン内戦でフランコ側のナショナリスト叛乱軍支援に派遣された、CTV部隊飛行隊の一員としてBa.65は参加した。しかし、ここでBa.65の問題が露呈することとなった。「マルチロール機」として開発されたBa.65であったが、迎撃機としての運用は事実上不可能であることが判明したのである。Ba.65は発動機の出力が弱く、エンジンが飛行可能になるまで10分~20分掛かり、更に高度を上げるために非常に時間が掛かった(高度4000mに達するまで18分)。つまりは、緊急時に敵機の迎撃に出発する事は不可能であった。しかし、それとは対照的に武装の強力さは十分すぎるほどであり、スペイン共和国空軍機との戦闘でそれが証明された。

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エブロ川の橋を粉砕する3機のBa.65を描いた絵ハガキ

スペイン内戦時のBa.65の活躍エピソードとして最も有名なものは、エブロ川での戦いにおいて、3機のBa.65が対地攻撃で全ての爆弾を橋に命中させ、橋を完全に破壊これによって、スペイン共和国側の増援を断ったのである。これはナショナリスト軍側の勝利に大きく貢献した大戦果として知られた。しかし、Ba.65はパイロットたちに「操縦が非常に困難な機体」として知られていた。これは、武装を装備すると、非常に不安定になり、操縦性が極めて悪化するためであった(Ba.88でも同じようなことが起こった)。

Ba.65は輸出実績としても成功したと言える。イラク王国空軍に25機、チリ空軍に20機、ソ連空軍に10機、ポルトガル空軍に10機が納入された。このうち、イラク空軍の機体は第二次世界大戦時の英軍によるイラク侵攻時に英国空軍と空戦を繰り広げ、更に航空支援にやってきたイタリア・ドイツ空軍とも共闘している。更に、スペイン内戦で生き残った11機がそのまま新生スペイン空軍に納入されたのであった。中国空軍もこの機体に興味を持ったものの、結局いくつかのテストを経たが購入されなかった。

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飛行するBa.65

さて、話をヴィスコンティに戻すと、ヴィスコンティ少尉はこのBa.65を駆って北アフリカ戦線で戦うことになった。Ba.65はスペイン内戦での戦果から、操縦性は悪くても対地攻撃では十分な戦果を挙げられると思われた。また、弱点であった発動機も強化され、その弱点も克服されたに思えた。しかし、北アフリカの戦場でBa.65の次の弱点が明らかとなった。防御能力の弱さである

Ba.65は被弾に弱く、英軍機からの攻撃や対空射撃による消耗率が高かった。それに加えて、北アフリカの戦場は砂塵が酷く、故障が多発して稼働率が著しく低下、その結果地上撃破される機体も増えた。しかし、スペイン内戦の結果からもわかる通り、乗り手が上手ければなんだかんだイイ感じの戦果を挙げられる機体でもあった。北アフリカ戦線の場合、その乗り手とはヴィスコンティだった。ヴィスコンティはこのとても「優れた機体」とは言えない機体を、優れた操縦技術で操り、多くの戦果を挙げたのである。更に、ヴィスコンティにとっては、この北アフリカの戦場が初陣であった。初陣でこのじゃじゃ馬機体を乗りこなすとは、流石である。

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英国機甲師団のマチルダII歩兵戦車。

こうして、ヴィスコンティが駆るBa.65は軽爆撃機として、キレナイカに迫りくるアーチボルド・ウェーベル(Archibald Wavell)将軍率いる英国機甲師団への対地攻撃を実行した。Ba.65飛行隊は損害率が高かったとはいえ、英軍地上部隊への攻撃は驚くべき戦果を挙げた。Ba.88やCa.310といった他の北アフリカ戦線における主力軽爆撃機たちが軒並み役に立たなかったため、Ba.65による戦果は重要なものとなった。

Ba.65時代のヴィスコンティ北アフリカのルーデル」とも言えるほどの獅子奮迅の活躍を見せた英国機甲部隊の戦車を何輌も撃破し、その戦局に大きな貢献をした。時には英戦闘機3機の追撃を受けて、機体に大きな損害を負うも不時着をして何とか帰還する事態もあった。こうして、ヴィスコンティはBa.65を駆り、1940年6月に銅勲章、9月に銀勲章、12月に銀勲章を叙勲される活躍を見せたのである。そう考えると、Ba.65の場合は「駄作機」というより、「乗り手を選ぶじゃじゃ馬だが、上手く乗りこなせば良い機体」と言えそうだ(逆に言うと、その弱点(操縦性の劣悪さと致命的な防御力の低さ)を克服できるような択一した操縦能力を持たなければマトモに使えない、ということであるが...)。

 

ヴィスコンティとCa.310 ―「干しダラ飛行機」—

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カプロニ Ca.310"リベッチオ"偵察爆撃機

しかし、そんなヴィスコンティも軍規違反で問題を起こしたために、一時的に植民地防衛第2航空群第23飛行隊に飛ばされ、カプロニ Ca.310"リベッチオ"偵察爆撃機による偵察任務に従事したこともあった。こちらも紹介しよう。

カプロニ Ca.310"リベッチオ"偵察爆撃機は、カプロニ社が開発・生産した双発偵察爆撃機。設計は第二次世界大戦時のカプロニ社を代表する設計者であるチェーザレ・パッラヴィチーノ(Cesare Pallavicino)が担当し、Ca.310は彼が設計したCa.309"ギブリ"から派生した輸出機モデルとして作られた。なお、Ca.309"ギブリ(Ghibli)"はご存じ、「スタジオ・ジブリ」の名前のモデルとなった機体である。こんなマイナーな機体を自分のスタジオの名前に使うとは、流石は飛行機オタクの宮崎駿監督である(尊敬)。

派生元であるCa.309は植民地向けに開発された機体で、故に過度な能力を求めずに、信頼性とメンテナンス性を重視した優れた機体であった。Ca.310はそんなCa.309とは対照的に、大出力のエンジンを搭載し、固定脚ではなく引き込み脚を採用した。武装は前方に7.7mm機銃×2、後方に7.7mm旋回機銃×1が搭載された。爆弾の搭載量は400kg~500kgである。

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カプロニ Ca.309"ギブリ"偵察爆撃機。スタジオ・ジブリの名前の由来になったことで知られる機体。植民地向けに作られた機体で、信頼性が高く整備が容易だった。

なお、Ca.309の愛称である「ギブリ」北アフリカで吹く熱風、Ca.310の愛称である「リベッチオ」は南西から吹く風を意味し、両方とも風に由来するもっと言えば、輸送機として開発されたCa.308の愛称は「ボレーア」で、こちらはギリシャ神話の風神「ボレアス」のイタリア語読みであった。更に、ベルギーのSABCA社のライセンス生産向けに開発されたCa.335偵察爆撃機の愛称も「マエストラーレ」であり、こちらは北西から吹く風のことである。全て風に由来した愛称だった。「リベッチオ」と「マエストラーレ」に関しては、イタリア海軍のマエストラーレ級駆逐艦にも同名の艦が存在する。

こうして開発されたCa.310は大きな期待がかかっていた。更に、派生元であるCa.309が優秀な機体であったことと、カプロニ社は第一次世界大戦においてイタリアを代表する優れた爆撃機を生み出した名門だったからである。試作型はテスト飛行で優秀な結果を示し、各国の注目を集めて輸入生産の注文が入った。しかし、輸出が決定して量産が開始されると、これは悪い方向で予想を裏切られることとなった。

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クロアチア空軍のCa.310bis。元々はユーゴスラヴィア空軍の機体。

輸出モデルとして開発されたCa.310は、ノルウェー陸軍航空隊ハンガリー空軍ユーゴスラヴィア空軍ペルー空軍への輸出が決定した。ここで、重要な結果をもたらすのがノルウェーへの納入である。ノルウェーは当時、ドイツの脅威にさらされており、空軍の強化が急務とされた。こうして、イタリアの名門カプロニ社から新型機を輸入する契約を交わした。ここで、興味深いのが、航空機購入に当たって、資金が不足したノルウェー干しダラ(イタリア語ではバッカラ)での物々交換をおこなっている

さて、ノルウェー陸軍航空隊に納入された期待のホープ、Ca.310であったが、部品の精度が酷く「使い物にならない」とさえ言われる始末であった。試作型では良好な結果を示したものの、初期量産型は稼働率が絶望的な結果に。ノルウェーは24機の購入を契約していたが、4機が届いた段階で残りの受け取りを拒否することとなってしまった(その後改良型のCa.312ノルウェー空軍に納入されている)。ハンガリー空軍も同様の反応を示し、いくつか納入されたものの、残りは納入を拒否される事態となってしまった。

この事態を受けて、カプロニ社はユーゴスラヴィア向けには改良型のCa.310bisを生産し、こちらを12機納入している。こちらはノルウェーハンガリーに納入されたCa.310初期量産型のようなトラブルは発生しなかった。このユーゴスラヴィア空軍の機体は、1941年の枢軸軍によるユーゴスラヴィア侵攻によってユーゴが解体された後に、クロアチア独立国空軍に渡って使われた(使用したパイロットは元々ユーゴ空軍のCa.310bisのクロアチアパイロット達だった)。また、戦後には生き残った機体が再びユーゴ空軍で使われている。随分と物持ちが良い。ペルー空軍にも16機が納入され、1941年のペルー・エクアドル戦争ではエクアドルの諸都市への爆撃や、ペルー陸軍部隊の地上支援などを行ってそれなりに活躍している。

初期生産型は「不良品」と揶揄されるほどに欠陥が目立ったが、改良型が作られて以降はCa.313を始めとする発展型が作られていったCa.313第二次世界大戦時のカプロニ社を代表する偵察機と言えるほど優秀な機体で、パッラヴィチーノ技師の代表的な作品ともされる機体となった。駄作機」から「傑作機」が生まれる、というのは非常に面白い失敗成功の母である。このCa.313は英国から約300機の発注を受けていたほどの傑作機であった(結局イタリアの参戦によって取り消しとなったが)。

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ジュゼッペ・チェンニ(Giuseppe Cenni)

元々輸出モデルとして開発された機体であったため、やはりそちらがメインではあったものの、イタリア空軍でも使用された。イタリア空軍での初陣は、Ba.65と同様にスペイン内戦である。16機のCa.310が参加し、スペイン・ナショナリスト軍の地上支援と共和国陣地の爆撃に従事した。しかし、Ba.65と違ってこれといって大きな戦果を挙げたわけではなかった。頑丈で被弾には強かったため、内戦時に損失した機体は無く、全16機がそのまま内戦後に新生スペイン空軍に引き渡されている。

なお、第二次世界大戦時、イタリア空軍最高の急降下爆撃機エースと呼ばれることとなるジュゼッペ・チェンニ(Giuseppe Cenni)は、スペインからの帰国後の飛行教官時代にCa.310を操縦している。が、これといって目立ったエピソードもない。Ca.310はなんというか、これといったエピソードに欠ける、可哀想な機体と言える。

さて、第二次世界大戦にイタリアが参戦すると、Ca.310は北アフリカの戦場で戦うことになる。こちらでは基本的に偵察機として使われ、時には軽爆撃機としても使用された。が、特に目立った戦果を挙げられていない。一時的に植民地防衛第2航空群第23飛行隊に飛ばされたヴィスコンティ少尉がCa.310で任務に従事しているが、Ca.310の基本用途はあくまで偵察で、軽爆撃機として使用されるのは敵が航空機の脅威となる対空装備を持っていなかった時のみに限られた(そもそも、具体的にヴィスコンティがCa.310でどのような活躍をしたかもわかっていない)。Ba.65とは対照的に頑丈な機体であったが、やはり性能不足は否めず、北アフリカでの一連の敗北の結果、第一線では使われなくなってしまったのであった。とはいえ、その後も地道に後方任務で使われたようで、残った機体は1943年の休戦後に南部王国の共同交戦空軍でも使用されている。

 

Ba.65に話を戻すと、結局、Ba.65で英国機甲師団を相手に獅子奮迅の活躍を見せたヴィスコンティであったが、被弾に弱いBa.65の消耗率は非常に高かったことは先述した通りである。このため、翌年の1941年1月にはその損害の多さからヴィスコンティが所属していた第50襲撃航空団はほぼ戦力を失い、解体されることとなった。

その結果、北アフリカでの操縦能力の高さを買われたヴィスコンティは、第54戦闘航空団第7航空群第76飛行隊(マッキ MC.200"サエッタ"装備)に配備となり、晴れて戦闘機エースの道を歩むこととなったのであった。

 

次回も、『イタリアの「駄作機」とエースたち』をお楽しみに!

第二話(Ro.57bisとクレスピ中尉)はこちら↓

associazione.hatenablog.com

 第三話↓

associazione.hatenablog.com

 第四話↓

associazione.hatenablog.com

第五話↓ 

associazione.hatenablog.com

 

■主要参考

吉川和篤/山野治夫著『イタリア軍入門 1939~1945 ―第二次大戦を駆け抜けたローマ帝国の末裔たち―』イカロス出版・2006
吉川和篤著『Benvenuti!知られざるイタリア将兵録【上巻】』イカロス出版・2018

・David Mondey著, The Hamlyn Concise Guide to Axis Aircraft of World War II, Book Sales, 2002

・Aeronautica Militare -Breda Ba.65-

http://www.aeronautica.difesa.it/mezzi/mstorici/Pagine/BREDA-BA%2065.aspx

・Aeronautica Militare -Breda Ba.64-

http://www.aeronautica.difesa.it/mezzi/mstorici/Pagine/BREDA-BA%2064.aspx

・Aeronautica Militare -Caproni Ca.310-

http://www.aeronautica.difesa.it/mezzi/mstorici/Pagine/CAPRONI-Ca-310.aspx

・Aeronautica Militare -Caproni Ca.309-

http://www.aeronautica.difesa.it/mezzi/mstorici/Pagine/CAPRONI-CA-309.aspx